成長と変化

もうかなり昔になるが、私は当時、私に与えられた仕事で、「もう一生これだけでいいかも」と守りのイメージを抱いたことがある。

 

結果どうなったかと言うと、とうぜんそんな仕事が定年までの何十年に至るまで継続され続けるわけもなく、長くて数年、場合によっては数か月で内容は切り替わる現実。

 

人によって違いはあるのかもしれないが、「与えられたもの」に対して、自分でそこにおける工夫をして広げていくことが得意な人と、与えられるものよりも「自分がしたい何か」があって、それをどんどんと押し広げていくのが得意な人、があるような気がしている。

 

特に、経済が感覚上なかなか発展していない現状の日本(世界?)において、企業が求めているのは、なんとか今の仕事を広げてくれる人。現状維持をしていける人は、正直言って求められていない。言葉を変えれば、微々たる量であったとしても、成長してくれる人こそが望まれているという事。

 

世界の中で、あなただけが仕事をしていて、周りはまったく変化がないのなら、もしかすると成長は必要ないかもしれない。だが現実それはあり得ない話で、周りも変化し続けている(当たり前)。それにより事実上、「立ち止まっている」ことは、「取り残されている事」であり、「現状維持」をするためには、時代のスピードで「走り続ける/成長し続ける」必要が出てくる。

 

そしてこれが大きな勘所だったりするけれど、成長と言うのは、それが「感じられる」ためには多少の時間がかかるという事。裏を返せば、「感じられるほどの成長」が見えてきたときには、すでに大きな差ができているという事。であるため、その人が努力を行い続けるならば、その差はよほどのことがない限り埋まらない、アドバンテージとなってその人の宝になるという事。

 

 

何事も、目に見えるまで頑張ろうよ、大変なんだけど、ね。

処遇

先日、ある会社で働いている人と二人で飲む機会があり、かなり深い話になった。

 

これまで会社を引っ張って行っていた人たち、その人の上司たちが、そろそろ役職定年になる/なったらしい。まぁ最近よく聞く話だ。

だが問題はここから。役職定年になった後にもそこで働き続けるなら、給与は当然ながらがっくりと下がる。社員階級レベルがいったんリセットされ、一番下から開始されるらしい。となると、基本月給20万程度。年収240万。それにプラスして多少のボーナスだそうだ。

これまで役職のついていた人からすると、たぶん、1/5、1/6レベルの給与レベル。人に依っては軽く1千万を超えていた管理職クラスもいる事だろう。

もちろん、その人たちは「偶然」その地位に就いたのではなく、実力をもってしてその会社の中で認められたものであり、まず間違いなく、管理職として相当の実力を持っている人。それがある日、誕生日とともに給与レベルとして奈落の底に突き落とされる。能力はほぼそのままで。

 

…であるため、即刻会社を辞めて他の企業に再就職する人もいる。こういう人は問題ない。自分の人生を自分でバリバリ切り開く人だ。

そうではない人もいる。一応再就職支援の制度に乗って、それだと上記の240万+ボーナス。今更ゼロから探すリスクも大変だし、背負えないし、それでいいと満足する人がいる。

 

誕生日を迎えたことで、いきなり才能がリセットされるわけではない。知識がリセットされるわけではない。が、この「急激な」降格はなんなのだろうか?

百歩譲って、「俺は良いから」と満足している当人は良いとして、それをはたから見ている他の社員において、モチベーションになるだろうか?

いくら頑張ったとしても、年齢でこうしてリセットさせられる。なにかそれまでの知識を優遇するでもなく、貢献を見据えるでもなく、あるレベルから下を「チョキン」と切り取るように、切り離す。

 

すべて、好景気ではないのが原因だ…と言われればそれまでかもしれない。が、そもそもこのような会社員の仕組み、年金の仕組み、退職金の仕組みなど、ここ100年も日本で続いていない仕組みの上でのはなし。それに翻弄されて人生は過ぎていく。

 

そう考えると結局いつも結論は、自分の楽しみ/自分がなりたい何かを、きちんと自分が意識できているか/それに向かえているのか?自分自身での満足が意識できているならば、何も周りに振り回されることはない。

でも、それでも処遇は気になる。

要するにやっていることは、労働人口も減少している中、ジリ貧方向でしかないというのが無策感を表しているのだけれど。

 

最後まで、一つも失敗しなかった人が成功になる仕組み、日本。

それでいいのかね?

 

一人からチームへ

一人で仕事をこなせる有能な人も結構いる。なんでも呑み込みが早く、理解力が卓越しており、どんどんと仕事をこなす。

それを見据えて、なら今度はチームを率いてくれないかと数人メンバーをつけたりする。

二人位メンバーをつけて、当人含め三人のチーム。場合によってはこれもうまく回せるものもいる。だがここで躓く人もいる。(a)

さらに三人チームをうまく回せれば、五人、十人と大きなチームを任せる。と、これもうまく回せるものもいるが、ここで躓く人もいる。(b)

 

(a)のケースの場合において、うまく回せている者は二通り。すべてを口頭で説明したりメンバーに納得してもらったりする形ですすめて回せる人。それに対して、口頭のみならず、多少の説明の資料を作る人もいる。後者はこのどちらもうまく回せる可能性が高いが、前者は、次の(b)になった際に躓く傾向が高い。

 

何がいいたいのかと言うと、できる人であるほど、物事や必要な情報、行動が、当人の中において整理できているのは良いのだけれど、それをどのように「他人に伝える」という形に置き換え、情報を、周りが納得しやすい形でアウトプットできるか?という事。

 

最近はこれを一言で「コミュニケーション力」と呼ぶけれど、そのコミュニケーションによって、どのような情報を、どのような形で見せる、理解させる、納得させるか?が根幹になる。

これ、もちろん生まれつきそのようなスキルを持つものもいるのだろうけれど、たぶん、教育の中において、その役割、手法を身に着けて来たか来なかったかが非常に大きいと実感している。

…が、あきらめる事は無い。こうしたスキルは「スキル」であるがゆえに学ぶこと、学習することができるもの。だけれどその認識に至れていない人が、自分のステージをあげることができずに苦しんでいたりするのを見ると、もったいないなぁとも思ってしまう。たぶんそうしたことを学べる事自体に気付いていないという事なのかもしれない。

 

これも情弱と呼ぶのかな。

 

 

理解と納得

あなたはどちらだろうか?

理解さえできれば自分の行動につなげられるか?

それとも納得が必要か?

 

理解と納得は、重なっているところもありそうだが、微妙な違いがある。

こう考えるといいかもしれない。

a) 「理解はするけれど納得はいっていない」ということと。

b) 「理解できないが納得する」ということと。

 

a)は、事象としてはあり得る。現実社会においての事象は、これが大半ではないか?

b)は、私個人としてはあり得ない。理屈もわからずに納得できるものは無い。

だからc)として

c) 「理解し、納得する」ことが重要になる。

 

a)とc)の違いはなんだろうか?

a)はとりあえず理解はしている。だからこそ、行動をとることはできる。納得していない事により疑問は感じながらも、理屈は分かるので行動にはつながる。

だが、c)ならば。こちらは理解し、納得しているがゆえに、ただ行動につながるだけではなく、納得いくポイントに向けて工夫が生じる可能性がある。疑問な点がないため、自ら改善点を見出すことで、効率を上げることができるからだ。

 

理解できれば仕組みが分かり、それにより抽象的概念としてとらえ、普遍的知識が得られることになる。

納得できれば現状が分かり、それにより理屈ではない、この現場に応じた情報や知識が得られる。

これら二つの、ある意味の理想と現実をいかに融合させることができるか。特に応用が利かないというのは、理解できていない、仕組みが分かっていないという事。ほんらいこうした理解の訓練こそ、できれば中学、少なくとも高校あたりから身につけさせたいもののはず。だが、そうした意識を持っている人は、生徒も先生も含め、どのくらいいらっしゃるのだろうか?

 

 

やはり、意識の高い、そしてスキルの高い教育者との出会いという偶然、運は、人生に大きな影響を与える気がしている。

スパイラルの血栓

物事が回り始めると、AだからB、BになるとC、CだからD、DとくればA…と、次々と連鎖的にぐるぐる回り始めることがある。これが、ポジティブに回り始めれば、いわゆる景気拡大につながるのだろうし、ネガティブに回り始めれば、デフレ状況に陥ることがあるのだろう。

 

実際の物事はABCDのように単純ではないにしても、特に経済学については専門家がいろいろと研究し、だから金利をあげようだとか、だからお金を刷ろうといった活動として具現化する。

実感している人がどのくらいいるのか、私の個人的感覚では?マークがいくつも点灯しているのだが、どうやら景気は拡大している傾向にあるらしい。だが目標成長率に対していまだ達しておらず、であるがゆえに政府は金利をマイナスにまで下げ、お札大量にばらまいている現実がある。

 

これら結果として何が起きているのか?私は経済学者ではないけれど、よく聞くのが「企業の内部留保が膨れ上がっている」ということ。すべてではないだろうけれど、大量にばらまかれたお札が、企業/法人の内部にせっせと蓄積されている状況というのが今の一側面。であるがゆえに政府としては「給与をあげよ」と言いたくもなるわけだ。

 

事実、アルバイトベース、いわゆる非正規社員向けの給与単価は明らかに上がっている。昨今は身近なコンビニなどにおいても人が足りないと言われていて、確実に人を取ろうとすれば、時給をあげるくらいしか手がないわけだ。

…と同じことをせよと一般企業に言うわけだが、事実上上がっていない。なぜか?

 

やっと今日語りたいところにたどり着いたが、もしも人は(想像の上での)合理的判断をするならば、給与の安い仕事はさっさと見切りをつけ、より高い仕事に移っていくはずだ。…だが、そんな流動的状況にも陥っていない。

 

昔は本当に「終身雇用」が働いており、いったん就職すればそこで退職までを全うするという人が多かっただろう。だが昨今はさすがにそのような状況ではない。昔に比べれば人材流動性は上がっており、と同時に終身雇用など(たぶん公務員以外の大半は)信じちゃいないだろう。なのになぜ動かないのか?

そこには、スキルマッチングが一つ。そして「企業自身がどこも給与をあげられない」というか、他があげてこないから自社だけあげることで競争力を下げるわけにはいかないという事情で、周りに「おいしそう」なところが見つからないという事だろう。

 

結局、企業が身を切って給与をあげるか、社員が給与に不満をもって(再就職のリスクを取りながら)今の企業とおさらばするか?という、ニワトリが先か卵が先かの我慢比べをしている状況に違いない。

と、これに付け込んで企業は給与をあげない、誰も逃げださない…というスパイラルとして回っている事実。

 

これを、システムを変更することで人々の動きや方向性をつけていくのが、政治家や官僚の仕事のはずだが、思ったように動いていない現状。

ど素人の私が言うなら、たとえば、これから2年間は特例措置として、(今は会社都合の雇用保険による給付が、すぐにその月から出るものを)個人都合でもその月から出すとか、給付を3割増しにするなどすると、皆が雪崩を打って「不満のある今の職場を脱出」し始めるのではないだろうか?とすると当然、企業は引き留めに走らざるを得ず、例えばその一つの施策として、給与をあげるしかなくなるのではないか?と想像する。

 

さーて。経済は無限に成長するのだろうか?

給料っていつ上がるのかなぁ。

 

 

これがまだ一部で起き始めているだけで、もっとこの割合が増えていけば、たぶん景気は回り始める。

それは、給与や仕事の中身で人をひきつけなければならなくなるからだ。

そうでなければ、たとえ安く働かせていても、働いているものは逃げない。