勝ち方

勝負に対する執着は、やはり必要だろう。何が何でも勝つ!という姿勢は大切なことだ。と、これを踏まえた上でのはなしになるのだが、じゃぁ「どんな勝ち方」でもいいのか?というと少し疑問を持つ。

 

一般的には、「良い勝ち方」と「悪い勝ち方」があり得るそうだ。そもそもその「勝負」によって「良さ」も違うし、こだわるべきポイントも違う。しかしどんな勝負にしたところで、勝ち方が意識できているだけで、勝負の後の世界が変わると考えている。

 

良い勝ち方で勝った場合。そもそも後味が良い。すがすがしく次に向かうことができるし、そもそも勝っているのだ。反省点は多少あるだろうけれど、おおむね及第点だろう。

これが悪い勝ち方で勝った場合。上記に比して後味が悪い。勝ってはいるものの後ろ髪を引かれる様な、なんとも納得感が薄い勝ち方。

 

これはたぶん負ける方でも同じで、良い負け方で負けた場合には、負けはしたけれど、次に続く反省点が浮き彫りになったり、自分の次の課題が明確になるなどと言った、次へ進むポイントが見えてくる。進化できる負け方と捉えてもいいのかもしれない。

これが悪い負け方では、そもそも負けているにもかかわらず、さて、課題が多すぎてどこから手を付けていいのかわからず。以前混沌としたままといったお手上げ状況。これではなかなか、次の効果的改善手段が打てない。

 

…と言うところからもわかる通り、たぶん良い××に向かうには、そもそも勝負前からポイントが明確になっていたり、絞れているかが大きな分かれ道になりそうだ。もちろん、勝負の最中に見えてくることもないではないけれど、そこに挑む前からそれが見えていれば、見るポイントが絞れていれば、効果的に情報を集めたり、手段を洗練したりすることもできる。情報収集の効率に大きな差が生まれるのは明白だろう。

 

勝ち方、負け方ひとつでたぶんこうも変わる。これを毎回考えて挑んでいる人・組織と、そんなことは考えたことがなかった人・組織と。たぶん1年後3年後5年後での成長の差は…は、言わずもがな…ではないだろうか。

 

 

象が大きくなっちゃってる

群盲像を撫でる。

何人もの盲人が、象と初めて出会い、それぞれに触った感想を述べたところ

 足を触った者からは「象とは、太い柱の様なものだ」

 鼻を触った者からは「 象とは、細長いもののようだ」

 背中に乗った者からは「象とは、岩山の様なものだ」

等々、それぞれに全く違う感想が出てきて何が何だか分からなくなっているという状況。

 

まぁこれをどうとらえるか、どう教訓とするべきかというところが肝心だと思うのだけれど、まさに今、我々の社会って、この状況ではないのかなと改めて思い返す機会があり。

 

そもそも社会システムそのモノ、経済システムそのモノが大きく大きくなってしまい、それぞれに専門家がいたりする現代。…だけれど、結局のところ「全体」を正しく認識できているのは要るのだろうか?ということ。

 

例えば日本においては、年金システムだとか、財政再建だとか、社会保障だとか…その一部だけを見て議論したって意味を持たないのではないかと。

そんな巨大な「象」システムは、国単位にとどまらず、もはや地球規模にまで拡大しているという状況。

一昔前は、アメリカがくしゃみをすると日本が風邪をひく…と言う形で言われてきたけれど、そんな単純なものではなく、政治的バランス、軍事的バランス、経済的、宗教的、さまざまな紛争、争いにおいて、それぞれ単独ではなく、互いに影響を及ぼしあいながら日々の生活、経済活動が回されている。

人類は幸い?地球より外側には出て活躍していないけれど、そうした大きな「象」システムを俯瞰して捉えられる意識、力が必要になるはずだと言うことでしょ。そしてそれを、たぶん地球上の覇権国家の長こそがそういう意識をしっかり持ってもらわないと、それこそ極端が極端な状況を生み出すことになりかねないのでは…という状況のはず。

うちの国だけ発展すれば…うちの国だけヌクヌクできればは、成り立たない状態に入りつつあるはず。中国とか、アメリカ保護主義強化とかを論じるような国の「長」ではまずいんじゃないの…ってことを、国レベルを超え、「星」レベルで考えなければ、たぶん「星」の上で生息する人類としては危ない状況になりつつあるのかな。

 

SFではなく、ほんとうにそろそろ、人類が生み出した技術が、星自信を滅ぼしかねない力を持ち出していませんか。僕らは群盲になっていませんか…。みんながそんな意識を持てなくても、そうした意識を持っている人を見出す力、選ぶ力は必要でしょ?

そもそもを忘れると

会社などで会議をしていると、時に出会うことがある。

「それ、何のためにやるんですか?そもそも今回のプロジェクト、何のためにやってるんです?」

 

そればかりを考えすぎて、周りが見えなくなってきたり、そこの技術を追求したくなったりしたときは要注意。それ、何のためにやってるんでしたっけ?この振り返り、いったん立ち止まって、本来の意図を確認することは重要な事。

 

この究極が、「働くために生きている」ような人ではないのかなぁと。もちろん、働くために生きる人がいても悪くはないけれど、そもそも人は「生きるために働いている」はずではないのか?に立ち戻れた瞬間に、おかしな行動には抑制が効くはず。
が、それすら考えられないほどへとへとに働かされている実情があるからこそ、過労死や鬱が日常的に目にする現状になっているというのは皆さんの感覚通り。

 

世の中、経済原理に従って、経済だけを発展させていけばいい…ような気分になっている人もたくさんいるようだけれど、そもそも「生きていくに足る労働」がまずは基本でしょ?ただ現実にはそこに競争原理が導入されているため、以前と全く同じでは、相対的に付加価値が下がるというシステム。だからこそ、一生懸命働かなければならない現実があるという事。その「システムの効きが薄いところ」に位置する人々、たとえば世界に数えるほどしかいない技術を持つ人や、芸術的価値を認められた唯一無二の人などは、そうはなり難いのかもしれないけれど。それでも人間の本性として「飽きる」という仕組みが、その部分においても常に研鑽させるシステムとして働く。

 

ただ何にせよ、そもそも生きるために働いていたはずで、働くために生きている生物は人間以外にはいない。今一度何のために生きているのか、そもそもを思い出したい昨今。

 

それでも、働かないと生きていけないというのも人間なんだよね。

ベーシックインカムなんかも議論され始めているけれど、100年後の世界はどうなっているのかな。

 

残りを意識

あなたがおいくつかはわからないが、人は必ず死ぬ。

それまでの残り時間って考えたことありますか?

 

平均寿命から想像すれば、まぁ多くは75歳くらいまで生きているのが現状か。80歳とか言われているかもしれないけれど、それは今の年よりであって、我々の時代には、医療は発達しても、食の影響でどうなっている事か。

 

さらに年齢のみならず、不慮の事故、予期せぬ病もある。

あと、残りが1週間だと/1か月だとすると何をするか?なんて問いかけはよくある話。

ただしそれも、普通はピンピンコロリではない。となれば、多少元気に振る舞えるのは前三日程度だったり2週間ほどだったり。実質的な健康稼働時間はさらに短くなるのが普通。

 

例えば今、あなたが30歳だとするなら、75歳までの活動時間は、65歳までの35年間として、35年x土日の100日x10時間+10年x365日x10時間とすると計71500時間

これが40才なら25x100x10+36500で61500時間

50なら51500時間

60でさえ41500時間

 

これとは全く別のところで、物事を習得するには10000時間の法則と言うのがあるらしい。「それ」に集中してやり続ける時間が1万時間を超えるあたりから、使える力になるという一つの考え方。

で上の数字を見てみると…

なんだ、30代ならあと7つも、60代でさえあと4つも、プロ並み?に習得できる時間があるという事。

 

ただ、リタイアした後の時間の過ごし方というと、テレビを何となく見ているという老人が今は大量にいらっしゃるそうで。なんともったいないことか。そもそもそこから何かに打ち込んだり、一花咲かせてやるかと一つに注力すれば、もしかすると以前よりも時間はかかるかもしれないけれど、それでも時間はかなりあるという事。

 

残りを知ることで、何をしようか、何ができる可能性があるのかを正しくとらえ、ならこうしてみようか、これに挑戦してみようかと興味を失わない事の方が大切なのでは。

 

現実に、たぶん「これからの老人」は、今まで以上に働かなくては、何か成果を生み出さなくては国として回らなくなりつつある現代。今の延長上ではない、新しい何かをやってみませんか?それも「今から」。

リストラを考える

昨今に限らず、経済が盛り返さない日本においては、あちこちでリストラと称する「人減らし」が横行。リストラの本来の意味「リストラクチャリング」からすると、「(会社)構造の再構成」なので、別に人減らしのみを表しているわけではないのだけれど、まぁ、経済が上向かない現在、人減らし、人件費削減であるからして、正社員をまずは減らして、その分多少の非正規でまかなって…という始末。

 

でも考えても見れば、「人減らし」とはなんと「贅沢」なことか。

そもそも、これから5年、10年先を考えれば、就労人口は明らかに減る。であるがゆえに、仕事ができる人、まともに働ける人を自社につなぎ留めておくこと自体がとても大変になるはずであるにもかかわらず、(今を生き抜くため?には)まずは人を減らすこと。

 

今や公務員という公共サービスにおいてさえ、非正規がいないと回らない状況に。すでにその傾向は見えているけれど、まずは「非正規」から賃金が明らかに上昇していくという事。

昨今の関東一円での様々なアルバイト募集で、時給1000円を切るようなところは、そもそも人が募集できる可能性はどんどんと下がっているのではないだろうか。

 

 

要するに、働いてくれる事を確保する事が大変になるとするなら、そのインセンティブとして、時給をあげるというのは非常に当たり前の対応策。

 

以前も書いた気がするけれど、そもそも「働き方改革」と「働く側にアプローチする」こうした施策では、すぐに変わるわけがなく。力関係として、少なくとも今は、雇う側の方が力が強いわけだから、やるとするなら「働かせ方改革」でなければ、社会そのものが根本的にはそうそう変わらないはず。

ただし、これから労働人口が減れば、働く側のポジションが相対的に高くなる。働き手が働く場所を選べるようになる。その時こそ意識は「働き方改革」になるはずだけれど、たぶんそうなったらそうなったで「働かせ方改革」なんて言い出すような気がしてね。見え見え(笑)