双方に目を向けて

お店に何かを買いに行くとする。たとえば、家電量販店に炊飯器を買いに行くとしようか。ところが店頭で見てみたところで違いなど判るはずがない。なので店員に聞いてみる。このA社のこれと、B社のこれと、何がどれだけ違うの?と。

当然のように店員は、二つの違いを説明し、それぞれの利点を述べる。そして、お客の要望を聞き出しつつ、こっちの方が「より良いですよ」と、商品を進めてくる。

 

売り手の心理は、より良いところをアピールしてくること。何かをしたがる、欲しがっているであろう人に向かって、こんな良いところがある、こんなメリットがあると説明し、時に説得してくる。そもそも「買うつもり」で来ている人は、そういった良いポイントアピールの言葉に説得され、ある意味納得して購入していく。

しかしここで、特に「より本当に納得できる人」は、自分は何が「欲しくないか?いらないか?」を理解している人ではないか?欲しい機能、メリットばかりで押してこられても、要らない機能にお金を払うつもりはない。欲しい機能と同時に、これは要らないをどこまで自分自身で理解できているか。これさえ分かっていれば、同じ事が出来る一つ下のモデルでも十分で。

 

上記とは反対に、デメリットばかりに目を向ける人もいる。これは、既得権として、新しい何かによって、既得権部分で得ているメリットがつぶされることばかりに目が向いてしまう人々。たとえば「レストラン全面禁煙に向けて」という方向性において、「喫煙者たちがお客に多い」ことを盾に、真っ向から反対する人だ。

もちろん、もしも「完全禁煙」という法律ができれば、いままでのような「喫煙者」のお客はこれなくなってしまうデメリットは生じる。だが同時に、いままで、喫煙者が多くて、煙たくて来ていなかったであろう非喫煙者が、新たなお客としてくる可能性にはほとんど理解を示さない…というか意識が向かないのか。もちろん、それはこれまでの慣習があるため、今日辞めて明日からすぐ来ることにはならないであろうけれども、それでも長い目で見れば切り替わる可能性というところを、自ら目を伏せて見ない様にしている状況。

 

結果として、何かをするにしても、しなくなるにしても、それは今までの行動や事項における、メリットも出るし、同時にデメリットも出てくるという事。その「変化」に耐えられない、自分が変化できないという事こそが、最大のリスクになっているという事にどのように気づくことができるか。

メリットとデメリット、双方をバランスの目をもって対処できる人こそが、時代を泳ぎ切る一つの重要なスキルだという事ではないか。

 

…となるとさ、とにかく「結婚しろよ、いいことあるよ」と、結婚「する方向」でしか話を持ってこない先輩方って、やっぱりちょっと抵抗を感じるんだよねぇ。ならなんでここ何年も、日本で離婚が増えているのか…って(笑)。

 

リテラシーの逆転

昔々、まだ日本にネットがさほど普及する以前。ADSLが始まる以前。とは言え、仕事においてはメールシステムが普及し始め、会社において、一人ずつの個人メールのアドレスが普及し始めたころ。

ソフトウェアエンジニアであれば、日々キーボードとモニターに向かって仕事をしており、何かメールが入ったらすぐにウィンドウを変えて返事ができたりする環境なのだけれど、まだメールアドレスが普及し始めた時代。となると、それぞれが皆、メールを頻繁にチェックできる環境でもなかったという時代。

そんな時代においては、メールでいろいろと複雑な内容の連絡をしたところで、相手が見てくれたかどうかよくわからず、こういうことがあったという。

「あのさぁ、さっきメールで出したんだけど見てくれた…?」と電話する。

「あぁ、今見てみるわ」

笑い話のようだが、実際にいくつもの職場であったらしい。

 

 

そんな時代から約20年を経た今。

 

ネットの有名人曰く、今時の仕事の内容を電話連絡するなどと言うのはもってのほか。そもそも「電話」とは、相手が今何をしていようが、その手を止めさせ、自分の方に向かせる強制力があると。なので本当に相手の事を考えたりするのであるならば、メールやチャットなどと言った形で、相手の都合で返事ができるようなシステムを使うのが、今時のネット時代において当然だとか…。

こうした、なんでもとにかく電話で済ませようとする人々を、今時の若者は揶揄を込めて、「電話野郎」と言うそうだ。若者曰く、まず電話するにしても、メール(やチャット、LINE)で、今電話してもいいかどうか確認すべきだろう?と。

 

 

ま、本当かどうかは別にして、時代のリテラシーというのがあるのかな。(笑)

 

蜘蛛の糸

カンダタは、蜘蛛の糸を手繰って天上界へ登ろうと。

ふと下を見ると、同じ糸を巡って、下からは何千人という人が押し寄せて。

結果的にカンダタの手のすぐ上の部分から「プツン」と切れて、皆はまた地の底に。

 

でもこれ、最近の日本の状況のような気がしてならない。

誰か一部の給料が上がりそうになると、それを引きずり降ろそうとしてみんなが下から引っ張って。結果的に下に合わせて日本全体がジワジワと沈んでいく。

ただしそうではないセレブ層もあるらしい。きっと魔法のじゅうたんでも手に入れて、糸に頼ることなく、ふんわりと天上界(高給)の世界に上り詰める。いったん登ればそうそう簡単には落ちたりせずに。ふわりふわりと雲の上。

地の底(庶民)に落ち込めばデフレで給料が上がらず、物価の上がらないことに喜びとまではいわずとも、これでいいかと諦めを感じている。自分が上がれないのだから、物価だけ上がってもらっても困るわけだ。逆に言えば、物価が上がれば給料も上がる…と誰も信じられない世界になったとも言える。

 

今天上界にいる人たちが、もっと庶民の事を考えたり、庶民の中から本当にすごい人をみんなで持ち上げたり。そうした相互に助け合うといった関係性が壊されてきたのが、このバブル崩壊後の20年なんじゃないかな。誰かが上がろうとすれば「低い方に」「みんなと同じつらい方に」「結果均等に」合わせる。

…じゃなくて、「高い方に」「より楽な人の方に」「機会均等に」合わせる世界に…は、なかなかなれない国なのかな。これだけ信じる事が損になる世界になってしまっては…。

 

でも、みんな一緒ならなんでもいい…ってわけじゃないでしょ。自分だけが良ければいい…って世界が良い世界でもないでしょ。しかしこの視点を持つ余裕が、無くなりつつある気がするんだよね。

つらいなぁ。

勝負はそこで起きてるんじゃない

各IT企業がこぞって「スピーカー」を売り出し始めている。

…といっても、単なるオーディオメーカーのスピーカーではない。AmazonGoogleMicrosoft、そしてAppleもスピーカーに参戦。というこの状況。たしかLINEもでしょ?

彼らが提供し始めている「スピーカー」と言っても、音を出すのみならず、「耳を持った」スピーカーの競争。それはユーザーサイドの声やコマンドを、要求として聞き入れて、理解し、それに応答していく。

 

これらすべての「スピーカー」がそうではないのかもしれないけれど、そもそも「音声コマンド」を聞きつけ、それを音声認識する部分は、たぶんそのほとんどが「雲の向こう」すなわち、クラウドと呼ばれるサーバー側の世界に存在していることがほとんど。

各機器それぞれの中に高度な「音声認識」が搭載されているようでは、売り切った後でのアップデートも大変だし、そもそも成長分野の技術革新は非常に早く、すぐに陳腐化してしまっては機器の役目を果たせなくなるのは想像に難くない。 

まさに「ココ」こそが日本の多くの家電メーカーが、思想として切り替えられなかった部分であり、いつまでも「売り切り」のイメージで物を売れば「ハイそれまで」としていたという、今思えば前時代的市場のとらえ方、作り方しか、いまだにできていない部分ではないだろうか?

 

前述の、 AmazonGoogleMicrosoftAppleは、いわゆる家電メーカーではなく、昨今の世界の企業価値のトップを彩るIT企業と呼ばれるところ。

日本では、なんとか「そのモノの中に」機能を詰め込み、後からのアップデートなどは基本的に考えようとしなかったし、そのための仕組みをずっと保ち続ける、サーバー負担する事自体が負担だと考えた。いわば売り切りで儲けを確定するビジネスから脱却できなかったし、たぶん今でもほとんどそうだろうという事。
多少、ゲーム企業においてはその考え方は変わっている部分はあるけれど、ゲームと家電の両方を持っている企業においてさえ、まだまだ家電分野では、サーバーサイドでサービス提供を継続的に…という頭はなさそうに見える。

 

こうなると、オーディオとしての「スピーカーの価値」すなわち音の良しあしとは別に、「機能」としての、認識率や理解力の向上こそが商品(≒サービス)価値となるわけで。これに対抗していけるこれからの日本の企業はどこなのか?

 

…と想像してみると。たとえばソフトバンクNTTドコモKDDIトヨタ、日産、ホンダ?あたりになるのかな?もちろん、DeNA楽天なども出てくるんだろうか。(株、買っとく(笑))

 

だから、勝負は「モノ」で起きてるんじゃなくて、ネットとつながる「サービス」に切り替わり始めてるんじゃないの?と言う話。

 

QCDの視点

仕事をするうえで、必ずと言っていいほど上司から言われるのが、QCDの視点。それは、品質のQとコストのCとデリバリー(スケジュール)のD。

 

日本の高度経済成長においては、そもそも日本の賃金が安かったこともあり、それをある意味テコにして、日本人の器用さ、品質追及をつかって、世界に冠たる経済国家を作り上げてきた。それが1970年代から80年代の日本の事実上の「ピーク」。そうして商品やサービスが売れることにより、給与が上がる、だから頑張れる。…という、ある意味良いサイクルで回っていたのが失速しだしたのが1990年代。いわゆるバブル崩壊

それに追いつけ追い越せ?の勢いで猛進してきたのが中国なのかな。当時の日本に比してはるかに安い賃金で、たぶん当時は日本人ほどの器用さはなかったかもしれないけれど、とにかく安さで勝負することで、世界の生産拠点になりあがっていった。いわば、上記QCDの、人件費Cが低いことをテコにしてぐいぐいと出てこれたという事。

 

もちろんバブルが崩壊したと言っても日本の企業もかなりあがいた。新しい技術開発、サービス開発などに力を入れるものの、そもそも、投資した半分も成功するわけがない。…という事が分かっているからこそ、そもそも投資額を抑えようとする。しかしそこを抑えてしまうと、「もうあと少しお金があればできたかもしれない事」ができないままで終わってしまう。こうして投資が無駄金になり、開発できた技術も実を結ばず。

こうなってくるとQCDで勝負するためには、Qを下げると売れなくなる。Dが遅れると世間から見れば時代遅れ。なので高くなりすぎたCを下げる方向で動かざるを得ない。だがどこを下げるのか。無駄金がかかりすぎている(?)人件費を下げよう…。だが明示的にガツンと下げるわけにはいかない。となると、今の賃金で今以上の仕事をしてもらって、「各個人の効率を上げてもらう」形で、下げるしかないだろう…と。とは言え、人間でできる作業は限界がある。となれば、結果的に、どこに手を抜けるのか、どこの品質を下げてもいまの価格を維持できるかという、ある意味マイナス的行動にならざるを得ない。ある企業では安全品質を切り詰め、ある企業では原価品質を切り下げ…。

負のサイクルが回り出す。

こんな状況でモチベーションが上がるわけもなく。日々、一市民は家計防衛の構えを取らざるを得ない。景気が盛り上がるイメージが持てない。出てくるものは悪くなった印象がおおきくなり、さらに買いたいものが減っていく。マイナス方向での攻防だ。

 

それに対して中国は?すでに中国の人件費自体がかなり上がってしまっているので、もしかすると現在は、ミャンマーやマレーシア、ベトナムあたりに移ってしまっている感があるけれど、彼らのある種のマインドは、いかに品質をあげるか。今の安い人件費でさらに品質が良いものなら、もう少し値段をあげられる。そうすると賃金だって上がる可能性が見えてくる。少しいい暮らし、少し便利な暮らしに近づける。まさに日本の1950年代、60年代の勢いそのままなのではないだろうか。ポジティブ方向への攻防。

 

人々の勢いとして、ネガティブ方向に動いているものと、ポジティブ方向へ動いているものと、いわずもがな。なかなか厳しい戦いになるのは必然。であるからこそ、同一線上の価値基準では負けが目に見えていると言っても過言ではない。

だからと言って、「世界線」をパツンと切り替えられほど便利ではないからこそ、人々は疲弊し、日々、満員電車に揺られるのだけれど。

でも、世界の「先進国」では、インフレしないのがトレンドかもね。欲望も限界を迎えるのか?