コケルなら早めで

もうすっかり自分は見なくなったF1だけれど、かなり前は、フジテレビあたりが力を入れて、〇〇グランプリを一通り中継してたっけ。

 

さまざまなマシン、各社の思惑、チーム事情、開発事情などが相まって、レースの結果につながるというのがF1。走り出して3周、4周と言った早い時点でトラブルが発生して、あーぁとなったり。さぁラスト5周のところでエンジントラブルでリタイアとなったりと波乱はいろいろ。

 

ただ、どちらかというと、終盤に近いところでトラブルに合うよりも、早めに出たトラブルは、残りの何十周かで徐々に取り戻してポイントをゲットするということが可能な事が多い。そうしたチームワーク、ピットワーク、トラブル対処などが一つの見どころでもあるわけで。

 

でもこれ、人生のレースにおいても結構そうなんだよね。

 

例えば、大卒直後は就職難で、そもそも希望の会社など入れる余地もなく、希望していなかった会社に何とか滑り込む…も、そこも早々に倒産。紆余曲折の中、30前に何とか今の会社に入って、そこから30年、今や押しも押されぬ一流企業に…という事もある。

かと思えば、大卒直後は引く手あまた。その中から誰もがうらやむ一流企業に入り、そこで20年…そろそろ50代が見えてきて。脂がのってきたところで…会社が一転、巨大損失を引き起こしてリストラに次ぐリストラを経て、結果倒産に。しかしそこから転職しようにもそもそも年齢が厳しい状況。ではあるものの、家族も抱えて、まだ年金暮らしまで最低15年は働かねばという状況で、終盤厳しい状況に追い込まれている人も。

 

早めのトラブルは修正がそこそこ効いても、終盤間近で起きたトラブルは、持ち直すには結構大変で、そもそも持ち直せない事も。

 

昔なら、一流企業など倒産するものか、と思っていた人もいたかもしれないけれど、そもそも山一証券の破たんからこっち、誰もそんなことを信じている人はいないはず。となれば、個人も個人できちんと対策を打っておかないとね。

社会は厳しいっす。

 

 

飽きる頃には

ネットの上での定額制サービスにおいては、必ず「ムチャ」をする奴が出てきて、結果的になかなかうまく行かないものがいろいろある。

 

例えばネットストレージ。

容量無制限、年会費〇〇円というのは無くはないけれど、そうなった瞬間に、自宅にある何十テラバイトの写真やビデオを、ぜーんぶネットにあげようとしたりするモノが必ず出てくる。
多くの常識的ユーザーはそんな無茶なことはしないのだけれど、何人かのとんでもないユーザーが出てくると、途端に全員のレスポンスやコストパフォーマンスに影響することになり、結果としてそのサービス自体を打ち切りにせざるを得なくなったり。

 

結果、やっぱり従量課金になるサービスがほとんどで、完全比例ではないけれど、それなりに費用が掛かる形のサービスが結構多く出始めている。

 

クラウドサービスなどと言う言葉はかなり以前からあったけれど、パソコンを持たずにスマホを使うユーザーが増えたあたりから、バックアップをクラウド側に…という習慣が自然と浸透し始め、みんなが当たり前に使うようになった環境…がやっと最近?

 

…と、こうして慣れたころに、当たり前になったころ、場合によってはそうした振る舞いにすら飽きるころに、定額制に切り替わる可能性が出てくる。サービス提供側も、利用者側も、どのくらい使うとじぶんもべんり、相手も潤うというまさに塩梅がわかってくる時間が必要なのね。

実際そうなりつつあるところもあるし、そんなサービスが多岐に広がる。

例えば、すぐにはならないだろうけれど、一部の物理的移動手段は、そうなってもいいんじゃないかな?と思うことも。

 

たとえばバス。もう一律〇円になっているところもあるけれど、あぁなれば、降りるときにいくら用意しなきゃいけない?と心配することなく、結果的に乗りやすくもなるだろう。

まだ日本ですぐには実現しそうにないが、タクシーだっていいかもしれない。これこそは従量課金がしばらく続きそうだけれど、完全固定料金の一歩手前、一部のゾーン内なら一律いくらにするのは海外ではありえる事。これは慣れればわかりやすい。

 

ただ、上記のどちらにせよ、小銭を用意する云々以前に、日本においては、電子マネーが急速に普及したことによって、現金が不要になり、事実上カードやパスでさらりと払うことができる環境ができたことは、まぁひとつの解なのかなと。

 

これ、究極はと言うと、(うれしいかどうか、効率的かどうかは別として)税金として費用を徴収することで、交通手段、移動手段は乗り放題、見かけ上、無料になる…なんてことになったら、それはそれで、移動の仕方、頻度も変わってくるのではないだろうか?

「移動しない人は損ではないか?」というなかれ。もしかすると、完全にただなら、移動してもいい場所に住み替えたいという人も出る可能性だってあるのだから。そうしたシステムに合わせて、人の生活は個別最適を図り、かんきょうがかわる。

 

今の流れで言うと、最終的には自動運転などで対処する形で、無料化とは違う形でサービスが続きそうだけれど。どうだろう?こんな形で経済流動性を活性化することもできないかな?と、まぁ一つの思考実験として。

 

委縮社会

ネットがこれだけ発達し、スマホがこれほど普及して、いろんなところでいろんな主張を「できる」時代になったからこそ、馬鹿な主張、意味のない独りよがりがまかり通るような時代になって、効率が落ちてませんかと言う昨今。

 

すでにうまく回っている何かの集団、どこかの組織に外からポッと入ってきたとき。そこのしきたり、そこの習慣をまったく無視しようとする者がいつの世にもいるようで。要するに自分の理論で自分の理屈だけでやろうとする人。

そこの組織、集団が、「今そうして回っている」には必ず何らかの理由があって、まずそれを確認したり、理解したりすることなく、「自分の理屈」を外から押し付けようとする。これじゃぁそもそも受け入れられないだろうし、当然うまく回らない事の方が多いのは言うまでもない。

 

当たり前だけれども、「自分の理屈を受け入れてもらう」ためには、その前提として「相手の理屈を理解する」ことがまず必要なはず。だからまずは「聞くこと」「理解する事」そしてそれらに対して「寛容である事」がとても重要になる。それなくして「自分の意見だけは…」と通そうとすることは、いうなれば、「自分の通したい意見には周りは寛容であれ。ただし周りの意見に対しては、寛容にはなれぬ!」と宣言しているに等しい。こんな一方的な取引は成り立たないのは当たり前のはずなのだが…よく世間で起きるらしい。

 

たとえば、ファーストフード店に行って、席について注文を取りに来い!と怒るお客はいない。基本的にモノを運んで来いとも言わない。カウンターで注文し、自分で持っていくというのが基本スタンス。であるがゆえに安かったり、早かったりという別の利便性を生んでいる。

こうしたファーストフードのように、明らかに日々皆が目にして使っているお店であれば、そうそうおかしなお客はこないのだろう。けれど、たとえば部品専門店で、安売りキャリアショップで、懇切丁寧な説明と、すべての疑問にお答えするような店員対応はふつうあり得ない店があって。そこまでのサービスを期待するなら別の店へ行けと暗黙の了解が店側客側双方にできているからこその、その店の価格設定として反映されている話で。そこまでするなら値段が高くなりますよなり、今ある何かの部分において別のデメリットが出てくる可能性さえ生む話。

 

ただ昨今厄介なのは、そうした個別の「勘違いの思い」を、「あの店はひどかった」とブログ等々で勝手に流すことができたりする事。これがまたちょっとしたファンがついているようなブログであると、その影響範囲がけっこうあるのが今の時期の厄介な話。

これをして「炎上」というネットスラングがまた生まれているわけだけれど。炎上にも、正しい炎上と、正しくない炎上とがありそうで。

 

ネットの意見は案外正しい…などという形で、たしかにおかしなやつもいるけれど、最終的には多くの常識人の声で是正されていくというのがネットの特徴という側面は確かになくはない。けれど、その是正のための時間と労力。その間における被害の大きさと、復活前の時間や費用を考えると、やはりターゲットになりたくない、委縮するという効果の方が多いのではないだろうか。

 

結局、ネットが広がったことによって、さまざまなことが委縮したりしてない?プライバシー情報や、コンテンツ情報、そしてこうしたお店の対応まで…という、委縮社会。

さらにテロ等準備とうとうに向けた取り締まる法案成立まで含め、委縮させる世界、社会で、経済など発展するんでしょうか?

 

 

結婚したい?

最近に始まったことではないけれど、最近身の回りに、独身者が多い。

 

結婚したいけれどしていない人もいれば、結婚したけれど一人に戻った人もいる。明確に結婚したくないという人は少ないみたいだけれど、まぁこれも世間体を考えると想像はできそうだ。

 

昨今、ただでさえ仕事関連で大きなリスクを背負わされているのに、これ以上大変になりそうな結婚はカンベンといった意味合いの理屈も聞く。確かに、最近の会社、組織は、「効率化」を旗印にして、個人が抱えるかなりの時間をプライベートから仕事へと使わせようという気満々。もちろん、残業も減らそうということでプライベートの時間はあるはずなのだけれど、そもそも就業時間に120%の力を出し切ったら、それ以外のプライベートの時間は、楽しむ時間と言うよりも、復活のための時間とならざるを得ない状況の人は少なくないのでは。

 

何にせよ、もしかしたら起きるかもしれないといったリスクに対処するには、フレームワークの考え方で対処するのが一つ。それは、「回避策、転嫁策、軽減策、受容策」で対策を考えるという方法。

 

通常の仕事であれば、その策のほとんどが軽減策にならざるを得ない状況もあるけれど、こと結婚に関しても、基本的に同じにならざるを得ない?かというと、最初に書いたように、そもそも結婚している人が少ない、独身者が多いという時点で、期せずして回避策を選択している状況の人が多数になりつつあるということ。

裏を返せば、そのくらい、社会や経済システムが、既婚者に対して優遇措置を持ちながらも押し付けているものがある、という事なのかもしれない。

 

ま、落ち着いて考えてみると、「結婚」という制度自体を維持したいのか?というとそうではないでしょ?日本としての喫緊の課題は、人口減少。それを踏みとどまらせるためには出生率を上げる必要があり、今の日本の法律ではそれに近づけるには、結婚を推奨する…ってだけの話で。

 

 

 

そもそも「結婚したらみんな幸せ」かどうかなんて、どこにも保障されるものではないし。自分の幸せを国に委ねよう、法律に重ねようとする事自体が時代遅れなのかもよ。

で、結婚したいですかね。

やめると再開できないこと

「個人でやっていること」をやめると、ノウハウを忘れるというのもあるけれど、思い出しさえすれば再開できないこともない。

だが、「複数人が関わるようなチームでやっていたこと」をいったんやめてしまうと、そもそも再開する事自体が相当に難しく、たぶんそれは二度と同じ状況にはならない。

ノウハウの継承、役割の分担、技術の継承…等々は、資料を残そうと思ったところで、なかなか勘所が情報になっていないところが多かったり、そもそもノウハウ自体を残す慣習が無かったり。

 

昨今、さまざまな企業が、事業をたたんだり、自分たちのところでやり続けられなくなったりして売却してしまう事例を見かけることが増えた気がする。売却先で続けばよいけれど、それはそれでトップの意思からして変わり、そうそう以前と同様に進めていくことが難しいのが現実。

 

それほどまでに、継続維持するのはむつかしい。だからこそどうやって維持していくのか?

たとえばお札の印刷技術などは、それを維持するための維持費用が使われている、とも捉えられる。製版作成の技術などを維持するために、そうしたいわばスーパー工員たちを、儲かりはしない仕事かもしれないが近い技術を必要とする別の仕事で働かせ続けることで、技術を温存し、組織を温存する。

だがこれは、昨今の経済状況、効率化を極限まで進め、無駄(に見えるところ。本当に無駄かどうかは疑問だが)を排除して、コストダウンを図ることを余儀なくされる一般企業では非常に難しい。だかこそ、その同分野、同じ仕事、同じ技術の延長線上において成功し続けなければ、技術や工員を維持し続けられない現実がある。

 

組織は変化し続け、技術は変わり続けるわけだけれど。その変化スピードがどんどんと速まっているのに人が、組織がついていけるのか、耐えられるのか。

ひとつが終わったところで、次に乗り換えられる、切り替えられる性質が個人にも組織にも求められている現状。

 

けっこう技術も流行りもリバイバルがあったりして、その時に時間とお金をかけてまた楽しんだりする世界もあるのだが。

何にせよ、単純に放り出す、雲散霧消させてやめてしまう事は、無駄が多いなと言う話。

あの時出たあれは、もう出ないかもしれない。失われた組織、技術、継続できないって、おおきいんですよね。