確率論から見ると
誰が計算したのか裏付けはとっていない怪しい話だ。
昨今の日本の社会環境においては、確率的にみると、正社員になるよりも、政治家(国会議員、県会議員、市会議員等々)になれる方が確率が高いらしい。
期待値的に考えても、月収、年収レベルで考えれば、当然政治家の方が高そうだ。
昨今の都議や県議、市議等々を見ていると、本当に何の活動をしているのか?と疑わしい者がいたり、給料をもらいながら「勉強させていただいています」などとふざけた輩もいたりする。まぁそうした者を選んだのも有権者なのだから、天に唾すると言えない事もないのだが、であるからこそまともな政治家に立候補してほしいという気持ちも湧き出てくる。
そもそも今の投票では、「受かってほしい人」にしか記入できないわけだが、これがもし「受かってほしくない人」にも何らかの形でマイナスの投票できた瞬間に、実は受かってほしいポジティブ票よりも、受かってほしくないネガティブ票が過半数を占めるのではないかと危惧している。…でお分かりの通り、批判だけするのは簡単だという事。まぁだからこそ選挙制度は簡単には変えられないのだろうけれど(違うw)
何にせよ、何かを生み出したり、何かを変革したりする力が、社会全体の雰囲気として、以前に比べてとても弱くなっている気がするのがこの国。ある意味で平和ボケでもあるのかもしれないとも思ったりする。だからと言って戦争を希望するわけではないけれど、起きてみないと危機感が得られない人がことのほか多い気がしている。
ことしもあと何十日を残すのみ。無事に年が越せることを祈る。
振り子は揺れる
かならず右へ振れた振り子は、左に戻る。当たり前ではあるけれど、右なら右、左なら左へ行きっぱなしの振り子は存在しない。かならず揺れ戻しがあり、今の反対側へと帰っていく。
ただし、戻ってくる際には今までとは違う事象になっていたり、違う人々に変わっていることによって、前とは全く同じ…と言うわけにはいかない。当たり前だがそれが現実。だからこそ、なんとなく元に戻ってきたとしても、以前と同じではなく、今に準じた以前の状況が展開される。
それを、進化と呼ぶこともあるし、場合によっては退化になっているところもあるかもしれない。だがどちらにしても、その変化が起き続けることこそが歴史であり、時間が生み出した状況。
前と全く同じ状況は生まれえないし、いつまでも変わらない何かもあり得ない。かならずどこか、小さな/あるいは大きな変化が起きているという事。それが「認識できる変化となって表れてくる」には、モノによって時間がかかるもの、そうでないものが存在するということ。
だからあきらめずに行こう。必ず変わる。何かは変わる。永遠に変わらない事はあり得ない。
たとえそれが、今良いことであろうと、今悪いことであろうと。
変えたいと思うなら、変わりたいと思うなら、それに応じた活動を続けるしかない。出来るのは、それに関してよりレバレッジを効かせられるのか、小さなあがきで終わるのかだという事。
育てるコスト
中小企業の継承者が育っておらず、廃業に至る企業が増え始め、結果、数兆円分の企業価値が消えていく…などとメディアが報じている。
正直なところ、自業自得だと思っている。
昨今、中小に限らず、一部上場企業においてでさえ、現業において、儲けるための効率化を究極にまで突き詰めようとしている。結果何を削減しているか?お題目上は「個人の効率を上げて」という事になっているが、多くはすべてのコスト(作業)を、価値につながるものにつなげるという事に他ならないことになっていないか。裏を返せば、即価値につながらないコストは極限まで削除し始めている。その最たるものが「教育コスト」や「トレーニングコスト」だろう。
今まででさえ、教育コストは潤沢にかけられていなかった企業はたくさんあるだろう。であるがゆえに、技術継承、事業継承がままならず、その直前になって焦って急場しのぎの対策を打とうとして失敗しているところは枚挙にいとまがない。
先達の責任の一つには、そうした後継者の育成も当然含まれている。が、そう思っていない人もいたり、いやそれは個人の責任だなどと考えている人もいたり。それによって結果、後継者が育っていないのを先達の立場として愚痴のようにつぶやくとするなら、それはお門違いであり、手を打っていなかった先達の責任に他ならない。
次につながらない、次が育っていない?それは誰に向けて言っているのかと?自分の胸に手をあてて聞いてごらんなさいな。
潰れる企業は潰れるべくして潰れていく。傍目から見ているという、それをもったいない、惜しいという人はいるのだけれど、適切に淘汰されないことこそが、システム全体を歪め、システム全体を危機に陥れていく危険性もあるのだから。
手段は選ぶもの
先日、ちょっとした鉄道トラブルで、多くの人がチケット売り場に長い行列をつくるというシーンを目にした。災害や天災などが起きたり、首都圏では日々さまざまなトラブルの結果として、こうしたシーンに出会うことは少なくない。
結果として、それに対処するためには「その手法」(ex.並ぶ)しかないという事は実際はあり得る。が、けっこう多くの場合、それに対処する「手段」と言うのは、当人が意識できていない他にもさまざまな手法があったりするもの。
たとえば、「チケットを変更してもらう」ために、チケット売り場の行列に並んだりするわけだが、その時点で「そのチケットを変える」ということに縛られている自分がいたりしないだろうか?その時に自分たちが「本当に」したいことは何だろうか?をよく考えてみただろうか。そしてその「本当にしたいこと」に応じた、取るべき手段の中で、リーズナブルな手段を選択できているかどうかを考えてみたい。究極、チケットを完全に捨ててタクシー、というても無くはない。が、実際はコスト面、時間面等々の別々の制約が効いてくるわけだが。
当たり前の事だけれど、取れるべき手段がどのくらいあるのか、頭を柔らかくして考えることができる事、これがまずは一番大切だ。そのためには目的を明確にし、意識し、その上でそれに進むための「手段」を柔軟に想像していく事、そしてその手段がどのくらいあるのか情報をしっかり持っておくこと。場合によっては「損して得取れ」的手法さえ重要になる場合もある。
そう、だから必要な情報をきちんと収集し、そしてそれらを必要に応じて引っ張り出し、その中から適切なものを選択し、決断すること…をいかに素早くできるのかが重要になるという事。
特に「決断」は、そのタイミングこそが重要で、「今」ならそれもチョイスできるが、「後」になれば選べない場合もでてくる。さらに場合によっては、そのタイミングでは確率にかけることもある。これすらも、タイミングにより、早く判断できれば、成功確率をあげられる場合もある。何にせよ、インパクトと確率からどれを選ぶのかが重要な判断基準。
となれば、トラブルや事象に遭遇した際に、さてその時点における目的は何で、確実に確保できることは 、捨ててもいい選択肢は何か、それを捨てない場合の手段の手数は?捨てる決断をした際の手段の手数は…と、実は様々な状況を判断できているかということ。ある意味、将棋の先読みのように、何手か先を読んで、その読んだ先における最適な解を選べるかという事。
…と考えると、人間の日々の選択状況による仕事の運営なんて、遠からずAIに置き換わっても、確かにおかしくないよね。その上で人が考えるべきことは、新たな価値を想像することではないのか?それを考え続けること、そこに価値を見出すことではないのか、とね。
変えることができるのは
周りに不満がない人はいないだろう。
どうしてこうしてくれないのか、どうしてこうならないのか…。日々悶々と過ごしている、ストレスが溜まっている人も多いだろう。
なかにはそれをお酒で紛らわせる人もいるだろうし、場合によっては自分より立場の低い誰かに当たり散らす人もいる。(…と言うところからも推察ができる通り、年長者、年配者は、自分よりも若者=立場が低い…と思われる人にあたる、説教する人が増えるわけだよね…。)
だが、いくら周りにあたってみたところで、自分の力が及ぶ範囲は知れている。自分が思ったように変わるとは限らない。
では、「変えられる」のは何か?
その一つは自分だ。自分が思ったとおりに変えられる。自分の支配権は自分が握っている。…にもかかわらず、その自分すら思ったとおりに変えられない事はないだろうか?簡単なところでダイエットだろう。これにかぎらず、三日坊主で終わってしまったことはだれしもが経験している事。
結果、一番変えやすい自分であったとしても変えられない、というのが現実。であるがゆえに、イライラ、悶々。
もう一つ、変えられることはある…。というか、これしか変えられないものがある。それは未来だ。
過去はどう変えようとしたところで変わらない。変えられるのは未来だけだ。時に「何でそんなことをしたぁ!」と過去をネチネチ突き詰める人がいるが… (ry
話は変わるが、どこと言った行き先を決めずに旅行する人、ドライブをする人はあまりいない(ゼロではないだろうけれど)。どこどこに行こうと決めてそこに到達、到着する。行きたい未来をイメージして、決めて、そこに行くための列車や飛行機、道路を確認して旅に出る。そう、皆、「計画し」てから旅に出るのだ。
なのに、人生と言う2泊3日の旅行よりも明らかに長い、大きな「旅」において、なぜ計画を立てないのか?どこに向かうということすらイメージできずに、満足度の高いところにたどり着ける確率は、限りなく低いことは容易に想像できるはずなのにとおもうことがある。
もちろん、小中学生には無理かもしれない。大人になったところで、これからの人生が、そうそううまく行くとも思えないかもしれない。けれど誰も、「それは途中で変えられません」などとも言っていない。そう、変えてもいいのだ。「北海道を目指していたけれど、あまりに環境がいいので東北で満足」でもいいではないか。これすら、未来を変えるという事の一つ。そのぐらいの目標や目的でもいいんじゃないかなぁ。
変えられるものを意識すること。目的/目的地をしっかり持つこと。それがボンヤリとでも明確になれば、おのずと今やるべきこと、やれることは見えてくるのだから。