ガラパゴスを笑うな

スマートホンの売り上げが驚異的に増えているにせよ、それでもまだ、旧来の形のケータイ電話を使っている方はいる。ガラケーガラパゴスケータイ)なんて呼ばれていたりする。

ガラパゴス島」という島がある。進化論でおなじみ?で、その島での生物進化の形が、他の地域とは異なった形で独自の進化を遂げたことに由来し、「日本のケータイ電話の進化が、海外諸国とは異なった形で独自進化(写真が撮れたり、メールが遅れたり…)を遂げたこと」になぞらえて、スマートホン以前の日本のケータイ電話を、ガラケーと呼ばれていたりする。

『日本だけ勝手に写真が撮れたり、Webが見れたり、お財布サービスが受けられたりと便利に進化しちゃってさ、海外から見たら複雑すぎてわかんねー。何あれ(笑)』

みたいに揶揄され

『もうスマホの時代でしょ。いまさらボタンでポチポチなんてさ』

なんて言われて、メーカー側もユーザー側もみんなスマートホンへとなびく。いまや電車に乗って座っている人で、ケータイ電話を“撫でている”人を見ない人がいないくらい。

 

だが落ち着いて考えてみれば、ガラケーは究極のローカライズ進化でもある。日本人しかできない、10キーを使った操作体系だったかもしれないけれど、少なくとも10年余り、あの体系で、メールを送り、Webを見、写真を撮って、クレジットサービスまで受けることができていた。それがずっと商圏としてまわり続けていたこと自体が「力(ちから)」のはずだ。高々人口一億数千万の国ひとつだけで、そのテクノロジーの開発、発展が可能で、大企業が何社も継続していける。それは力以外の何物ではないはずだ。

海外においては、ユーザー数は数億人いたかもしれないが、あのような複雑な操作体系は受け入れられなかった。そして、より複雑な機能を使うための機器としては、現在受け入れられているようなスマートホンの形になるしか、生きていけなかった。

しかし、大きな商圏を狙うのは、もしかすると「今までの考え方」ではないだろうか?大きな企業、いわゆる世界に名をとどろかせる大企業が、そういう商圏を狙いたい/狙うのは、多分これからも変わらないだろうけれど、本当に各ユーザー個々人がうれしいのは、その人に寄り添ったサービスであり、形のはずだ。それが、ユーザーが世界で1万人しかいないから辞めたと言われるよりも、1万人しかいないかもしれないけど喜んでもらえるのならと実施し、それでビジネスが回っていく規模のものがたくさん出てくれる方が、トータルで見た場合に、「世界の喜び」は増えるんじゃないだろうか?

ガラパゴスだといってけなしてみたり、揶揄してみたりするのは、大多数におもねった考え方でしかない。ガラパゴス島の生物だって、ガラパゴスで生き続けているんだ。大多数の生物進化のメジャーサイドの理論だけで滅んでいいわけがない。

ガラパゴスを笑うな!