最後通告

もうなくなってしまったけれど、M-1グランプリという、漫才で一番おもしろい一組を決めるイベント/テレビ番組があった。年末の恒例番組ともなっており、視聴率もかなりとっていたはずだ。立案者は島田紳助氏だったと思う。

あれはテレビ番組上、もっとも面白い一組を選ぶ、という華やかな側面を持っていたけれど、実はそれ以外の思いを内包して立案された番組だったらしい。

どの番組だっただろうか、「松本紳助」あたりで、このような意味の発言がされていたように思う。

「漫才という商売は、当たれば見返りは大きい。もとでもいらない。すぐにできる。運のいい奴はいい相方とも巡り合えて、すぐに売れ出す奴もいる。長年売れずに地道にバイトで食いつなぎ、でもその後に花咲くコンビもいる。しかし、ずっといつまでも日の目を見ずに浮き上がれない者たちはもっともっとたくさんいる。そうした奴らに、“お前たちは漫才では売れない。だから他の商売に鞍替えしなさい”ということを善意を持って通告してやらなければならないと思っている。だから結成10年以内なんだ。」

その人は、それをやることは好きだけれど、はた目から見ると向いていない、ということは確かにある。それを、きちんと肩をたたいて辞めさせてやるというのは、その瞬間は厳しい言葉だけれど、長い目で見れば本当は優しい言葉。
…だけれど、それをその当人が、通告された瞬間にそう思うに至ることは、とても難しい。

 

ビジネスでは、経済の仕組みとして最後通牒が突きつけられる仕組みがある。もっともわかりやすくは“売れない”。他にも、掲示板での批判が激しい、炎上する、などなど、最近の仕組みであるからこそ突きつけられるものも。
だが、ビジネスがビジネスであるがゆえに、お金が続くならば意地でも“今回を最後にしない”という選択肢もある。それで我慢して我慢して、やがて花開くビジネスもある。各社の成功談などの多くはまさにそんなところの集大成。いかに我慢し続け、やがて花咲いたか…が美談になっている。
が、我慢しても我慢しても、本質的にセンスがなかったり、そもそもそのビジネス分野が凋落傾向にあったりすると、湯水のごとくお金がつぎ込まれるだけでまったく成功の見込みが見いだせない場合もある。そして、いかにそういう分野を切り離し、儲かる分野に注力する/新たに見つけることができるか?
決定者たるビジネス判断を握っているもののセンスが多分に要求されるところでもあるわけで、ちょっとした規模なら何百人、少し大きいと何千、何万人の社員に影響するような判断にもつながる。だけれど、「やる」判断に比べ、今行っていることを「やめる」決断を自ら下すこと、というのは、とてもつらく、難しい決断であることは間違いない。歴史のifと同じく、やめた場合/やめなかった場合の結果を実際に比較することはできない。だから、やめるにせよ/やめないにせよ、その先の良い未来を想像している人からは、必ず反発を食らう。

であるからこそ、やめる基準は、スタートした時に用意し、一定周期でそれを見なおすくらいでないと、自分ではやめられなくなる。

 

# さて、このBlog、いつまで続けようか?
# まだ軌道にさえ乗っていない。