消費喚起

WindowsXPの保守期限が残り1年で切れるということを、ニュースで取り上げている。企業はそれなりに予算を積んで交換する算段を付けるだろう。けれど、自治体や公立の学校などで、多数のXPが導入されているところのインタビューとして、
 「なんらかの安い暫定対応策を準備していただけると…」
といったコメントをとっていた。
でもXPって、すでに対応延長策がとられていた上での今回の期限じゃなかっただろうか?

(延長策の有無は、Blogで今回書きたい内容としてはどちらでもいいんだけれど、)たぶん、どの時点においてこうしたニュースを流したところで、「サポート企業の責任が」とか、「延命措置を」といったコメントが出ることは、想像に難くない。いつまでも、いつになっても、すべての人たちが準備完了になっていることなどないし、マスコミ的にはそういうコメントがほしいだけだ。
裏を返せば「一度動き出したものは、永遠に動き続けてくれよ、ずっとサポートし続けてくれよぉ」という声でもある。

 

自分が納得できる形、実感できることがなければ、今動いているものをわざわざ切り替える、ということに踏み切れないことがほとんど。
車のブレーキのききが悪くなった、タイヤが目に見えてすり減った、フレームに錆が目立ち始めた、クーラーの効きが悪くなってきた…とうとう、目に見える/実感できる、理由がわかる/理解しやすい変調であれば、じゃあそろそろ買い替えるかと諦めがつけやすい。
(そしてそれが、ただ単に部品交換程度なのか、全体交換なのかなんて話が正しく認識できているかどうかは、関係ないことがほとんど…)

パソコンの場合はたぶん、いやいや、普通に文字打ててるし、計算できてるし、ネット見れてるし…という程度の理解の人であればなおさら、なかなかネット越しの脅威に対応できないといった事情を理解してもらうのは難しい。「その人のレベル」では、十分に使えているからだ。
言い換えれば、「その機器がその程度にしか使われていない現実」があるということでもあるのだと思う。古い機器でもそれなりに“使えている”のに、なぜ取り換える必要があるのだ、と。

一部の先進?ユーザーは、パソコンなどのIT機器の能力を、その限度いっぱいにまで能力を使い切り、それでもまだ能力や速度が足らずに、もっと早いものを、もっときれいなものをと求めることはあるだろう。
けれど、たぶん今ご自宅でパソコンを使っている多くの人は、その処理能力やスピードに、かなり満足している、というか、十分ではないかと感じているのではないだろうか?もちろん、少々遅いなと感じるところもあるかもしれないが、それがネットワークのせいなのか、パソコンの処理能力のせいなのかすら、明らかには分からないことも。それに、まぁ我慢できないことはない、見えてるからいい、という人たち。今の現状で満足とは言わないが、目立った不便はない人たち。

 

 

消費は、満たされてしまえばそこで終わりだ。常に満たされない感、いや、その分野が満たされたとしたら少し視点をずらした満たされていない分野を見せていくことで、消費を継続させてきた。消費喚起などと呼ばれる行為。
それまではユーザーが、その機能や装置を使う期間の長さと、メーカーが、次の新しいものや機能を開発、実用レベルで投入できる速さとが、曲がりなりにもバランスされていたのが家電業界。それがゆっくりと、この10年15年のデジタル化などを契機に、バランスが崩れだしてきた。

別にすべての人たちが、左右にしもべをはべらせて、宮廷料理でご満悦に浸りたいようなぜいたくを味わいたいわけじゃない。その人なりの普通の暮らし、普通の日常を、普通に送っていきたい。
ただ、その「普通」が、「あぁ、もう少しこうなっているといいな」と少しだけ思える未来が見えれば、そちらに少しだけ手を伸ばす。

そんな「もう少し先の便利な未来」が、「次のラインナップに乗っけるアイデア出し」程度の時間で、毎回なんとかひねり出せるさ、と思っている事の方が、本当は大きなリスクなんじゃないだろうか。