それに名前をつけたいですか

ペットである犬や猫には名前を付ける人も、草花には名前を付けないことがほとんどではないだろうか?もっと小型の小鳥やハムスターにまで名前を付けるのに、大きな鉢植えや観葉植物にまで名前を付けているというのはあまり聞かない。
ロボット犬やロボット掃除機には名前を付ける人でも、クーラーやテレビ、冷蔵庫にまで名前を付けている人は、私はまだお目にかかったことがない。

「ぬいぐるみには名前を付けますよ」

こういって反論する人もいらっしゃるだろう。だが、そうして名前を付けるぬいぐるみのほとんどは動物じゃないだろうか?また、静物をぬいぐるみ化したものであったとしても、そのほとんどが実は“擬人化”されていたりしないだろうか?

そこから想像すると、何らかの形で「動く」とか、「擬人化」されているものに対してシンパシーを感じ、そこに意思を感じるということ。「人」ではないのだけれど、意思を示している反応として、一つの「人格」を感じる、そういうものに名前を付けている。
細かいことを言えば、草花においてさえ、日の光に向かってその葉っぱやつぼみに日の光が当たるように体を動かしていたりするのだが、いかんせん、人間の動体視力では、遅すぎて認識されないことの方が多いだけなんだが。

 

 

「人格」いや正確には人ではないので「格」を感じられれば、それに向けた「情」もわくだろう。そうなれば喜びもあれば怒りも生まれる。
だとすると、物にちょっとした「格」を感じられる工夫が施されるだけで、一気に愛着がわいたりする。誰にでも同じふるまいをするのではなく、自分にはある特殊なふるまいをするようになれば、それはそれで喜ばしかったりもする。

そういえば、「品格」という言葉もある。品物としての格を持っているかどうかということ。物であるので人ではないということでの品格だろうけれど、昨今の電子機器なら、品格はもちろんのこと、何らかの人格だって身につけることができるんじゃないだろうか?

ただ、そうした格、もっと言えば蓄積されたデータが次の機種に継承されるようであれば、もっと嬉しい。「今使っている録画機の“○○君”は、私の好みの番組を出演者などを適当に見繕って録画しておいてくれる。」そうした能力を次に買い替えた際にも継承できれば、次も間違いなくこのメーカーのもので、と思わないだろうか。

高画質方向や、3D以外にも、方向性はあると思うんだけれど、こんな方向に踏み出す企業はいないのだろうか?機器という外側の器が古くなっても“ゴースト”はコピーされ、継承できる。
だって今でも普通にやってるでしょ?ケータイの電話帳をはじめとするさまざまなデータ、乗り換えができるから、離れられないんじゃありませんか?