主の変遷

いまから20年ほど前。家電はまだアナログが主流だったころ。

そのころの家電であっても、中には小さなプログラムは入っていた。そのサイズおよそ「数KByte」程度。今どきのプログラムから見れば虫けらみたいに小さいものだけれど、まだメモリーも高価だし、家電に搭載できるCPUの性能もそんなに高くなかった時代だ。

 

…であるがゆえに、機能は「プログラム」が主導権を持って作られているのではなく、「形」が主導権を持っていた。そう、「ボタン」それも今でいうGUIで描くボタンではなく、「物理形状として存在する操作系ボタン」が、その機能を規定していた。

むしろプログラマーは、その形でそこにある指令をメカや制御系にいかに伝えていくか?というような役目を担うに過ぎない、いわば“使いっ走り”的な役目だ。

 

# 形が機能を規定していた時代

 

しかし、現在は?

言うまでもなく、ソフトウェア(プログラム)が機能を規定する時代。(特殊なボタンが全くなくなったわけではないけれど)パソコンのキーボードというほぼ定型のボタンとマウス一式、もしくは、スマートホンのホームボタン、音量ボタン程度があるのみで、その他各種の機能を規定/操作するボタンは、パソコンキーボードからであればその組み合わせか、もしくは画面上のボタンをマウスで指示。スマートホンであれば指で指示。画面上のボタンは言わずもがなで、ソフトウェアが規定している。

 

 

形が機能を規定するとき、メカ屋、電機屋(一部ソフト屋)が、協調性を持って協力しなければ、思った機能を実現する商品は生まれ得ない。

メカ部、それも操作系部分は、形を決め、設計し、そのクリック感にまで言及。そうして金型を起こしてしまえば、そうそう安易に変更できないのは、形になるところなので目で見てわかるもの。金型変更は物によるだろうけれど、軽く数百万かかったり。であるから発注前に関係者はみなじっくりとすり合せ、万一あとから気に入らないところ、気になるところが出てきたとしても、おいそれと変えられないのは誰もが知っていて。

 

しかし、そもそも外見はほとんど変わらず、ソフトだけで機能が規定できるようになってきた昨今、ソフト屋だけで機能は完成する。設計思想が変わらないようなPCのみならず、OSの上で動くスマホアプリも、PCと同じこと。

ソフトは設計し、実装し、品質保証をしてリリースするのだけれど、ソースコードを触っている本人以外は、なかなかその途中経過と、途中の構成の難易度を実感できない。大体、αリリースで正常系のみが動くようになった所あたりから、周りは進捗を理解しだすのであるけれど、本来、αリリースの時点では、機能構成や設計思想などは確立されているため、できる変更とできない変更が決まってしまった後だということがほとんど。いわば昔の「金型」が出来上がったに相当する状態に近い。

 

だがその段において、「でもさぁ、やっぱりその操作、こうした方がいいと思うんですよねぇ。そのソースコード、ちょちょっと書き換えたら、新しい仕様に変更できるんじゃないんですか?」なんて輩はまだまだ存在する。変更できることとできないことの違いを、中身がわかっていない人に、わかるように説明しなければならないということでうんざりしたことが。

 

 

ここ10年、PCの性能向上とかスマホの性能、機能の向上などなど、一つの機器でいろんな機能が使えるように、あれもこれもできるようにすること、という方向で進化が進んできた。

 

しかしすべてが進化し、すべての道具がマルチパーパスになることはない、というのも想像に難くない。やはり専門で使いたい機能に特化した機器は、専用で使う道具としての“形”を持った機器というのが、今後はもっと登場してくるのではないだろうか?と期待する。

 

そして将来、そんな世界がやってきたとするなら。それこそ、すべての形がiPhoneサイズの「四角い箱形」で、写真機、音楽再生機、電話機、健康管理機…などと形状が同じである必要がないのは当然のこと。写真機なら写真が撮りやすい形に、ビデオならビデオが撮りやすい形に、音楽再生機なら音楽が聞きやすい形に、電話機なら電話しやすい形に…と、用途によって最適な形に形が変化する時代が来るんじゃないだろうか?

もちろん中身のソフトウェアは今の能力かそれ以上に。CPUもメモリーも今より格段に進化し能力は上がるだろうけれど、同時に安くなっている。

 

# 再び“形”が機能を規定する時代へ。

# そしてそれはソフト屋だけでは実践できないこと

 

「物」の価値は「機能」でもあるけれど、どんどんとマルチパーパス化されていけばいくほど、実はシンプルな形、目的に特化した使いやすい“形”に回帰するように想像する。

 

それはパソコン上でソフトを作るだけで機能ができる時代から一歩進んだ、“新しいモノ作り”の時代。