ひさしぶり

昨日は、私が退職した会社の同僚との飲み会に誘われた。

会社自身の状況は、ニュースに取り上げられることもあったり、facebooktwitterなどを通じて見えてくるものもあるけれど、やっぱり生の声は違う。

 

雰囲気、空気、そうしたなかなか文字だけでは伝わってこないものが、相手の表情、話し方、言葉の選び方から感じられることもある。

 

会社自身は、どうやら円安の影響によって、かなり見かけ上の収益は改善しているようだし、株式市場でもそこそこ堅調に推移しているので、株主的視点、世間的視点では、浮かれはしないものの、ほっと一息ついていらっしゃる人もいるのかもしれない。

 

確かに、円高が行き過ぎて割を食っていたという企業も多かったことだろう。だが、じゃぁ「それが円安に戻っただけ」ですべての不安材料は払しょくされたのか?安心していていいのか?それは暗に、“海外においては、その商品の魅力に対して、価格が高すぎた。魅力的価格/安価になるから売れる”、すなわち高すぎたということにのみ言及していることにはならないんだろうか。

事の本質は、次の商品、次のサービス、次の飯の種がきちんと出て来ていないこと、生まれてくる土壌になっていないこと。少しぐらい高い値段がついたとしても、商品としての魅力、サービスとしての魅力が出てきていないことこそにこそ、憂うポイントがありそうにおもうんだけれどどうだろう?

 

事業環境の悪さを、円高だけに見ている経営者なんてのはいないだろう。本当は、次の価値、次の魅力あるものをいかに作り出すか、見つけ出すことができるか?そしてエグゼクティブ層、マネジメント層、現場を統括する層は、そういう生み出す力、生み出す場を作り出せる環境作りや、生み出せる雰囲気、に変革することこそが大きな仕事。

…でその実態の一部として、多くの企業では、人を切って人件費をセーブし、なおかつ今までの事業は継続する(残っている人の仕事の負担は常に増加する)。それでもまだ、切った人の後釜が、きちんと育っていればいい方で、よくあるのは、切った後釜に据え直す人がいなかったり、その器に収まる人が育てられていなかったり。

まぁ、そんなこんなで3時間。いろんな話題にはながさく。

 

人と話すって、やっぱりとても大切なこと。

思ってもいない言葉が口をついて出てくる。

で、あぁ、私はこんな風に思っていたのかと、自分がわかったりもする瞬間。