そのための形

いわゆる住まいのリフォームをする方の話をよく聞くようになった。20年近く前ならまだ珍しかったかもしれないけれど、今じゃリフォームなどというのは当たり前に行われている。

ご近所の御夫婦宅も、この春にリフォームが完成した。久しぶりにお会いして、しばしリフォームのお話を伺う機会があった。

年齢も年齢なので、終の棲家として快適に暮らすことを目指して、いろいろと工夫を凝らしたという。子供さんもみな独立されて、あとは悠々自適な生活が待つのみ。これからの生活に向けての最終段階としての“リフォーム”だそうだ。

コンセプトは大きく二つ。扉をすべて取り払うこと。すべてを段差のないフローリングにすること。

 

 

 

20世紀後半あたりから、主婦の家事仕事に関しては、さまざまな発明がなされて、家事の中身は変化していった。冷蔵庫の発明あたりから始まり、電子レンジの発明、食洗機の発明、炊飯器、パン焼き器の発明。食材に関しても冷凍食品、レトルト食品の発明などなどで、炊事の手間は、劇的に軽減されただろう。

洗濯機も、初期の発明から徐々に進化し、今では洗濯乾燥機は当たり前。さらに、形状記憶シャツなどで、ノーアイロンでも皺が残らないシャツなどもあって、手間は徐々に減っている。

掃除はというと、掃除機は発明されたものの、やはりまだ人手を借りていた。が、ここ最近はロボット掃除機の発明で、それも徐々に変化しつつある。

 

だがロボット掃除機は、まだ発明されて間もない商品。部屋の中の障害物を回避する技術はそこそこにできるようになって来たけれど、まだ大きな段差や扉には弱い。

…ということは、段差や扉さえなければ、単体の進化を待たずして、今のままでも使えるものになりえる可能性がある。

 

こうして、目的としてしっかりした利便性を求める人たちは、「現代テクノロジーのレベルに合わせて、自分たちの生活、住まい方を変化」させている。便利になりたい、手間を減らしたい、快適な生活が送りたい、に合わせて自分たちをリフォームする。

明確に成し遂げたい欲望さえあれば、そのために人々は生活の形をそちらに合わせてくる。それが、その人たちの求める形にぴったり合致すれば、無理にそちらに誘導せずとも、人々は自らそちらに動き出す。要は「そういう技術を導入したいか?」と同時に、「人がそういう変化をしたいか?」。

 

 

世界の、いや日本の人々は今、「大きな美しい画面」を欲しがっているんだろうか?「今ほしい適切な情報」は、その時々に入手したいと思っているかもしれないけれど、情報が「大きい画面」である必要はなんだろうか?すでにスマートホンで、結構な情報が個々人に届いているけれど、それが大きくなる事の意味はなんなのだろう?

オーディオ機器としての「ステレオセット」が、ある時期からミニコンポ化していったのと同様に、テレビが大きくなるための「意味」が見いだせない限り、今以上に大きくなること、美しくなることに、どれだけの付加価値が見いだせるのだろう?