楽な道
なにかやりたいことがあって
「でも、できない」
ことのほとんどは“能力”の問題だ。
“事情”からくることもあるにはあるけれど、どちらにしろやりたくても/やりたくなくても、できないものはできない。
であるため、たいていは「できない、からやらない」につながる。
「やらない」
のは“意思”の問題だ。意思であるため、これは自らが決めたことだ。
この場合、「できるけれどやらない」と、「できないからやらない」には、戦略的ポジションとして大きな意味の違いが出てくる。それらを勘案した上での「やらない」だ。
「できる」
のは“能力”だ。けれど、それはあくまでそういう状態を示しているだけで、何かを決定しているわけではなく。持ちうる能力を説明したに過ぎない。
「できる、けどやらない」のか「できる、だからやる」のかは、この後の決断にゆだねられている。これも戦略的ポジションの取り方に大きく影響する。
「やる」
のは“意思”だ。多くの場合は「できる、からやる」のだけれど、競争厳しい昨今、「できる」という保証がなくても「やるしかない」場合もある。いわば「できるまでやる」。
「今はできない、けどやる」というのはまさに意志であり、そうすることにより、文字通り「できない」ことが克服されて「できる」ようになる場合が多い。それはそのまま成長へとつながることが少なくない。たとえ完璧にできるようにはならなくとも、そこには多分に成長への要素が含まれる。
なにかを「まずやって」みて、その結果できない。だから“今後はやらない”のはまだわかる。だが「やってみず」にやらないのはちょっともったいない。
「やれるチャンス」は、大人になればなるほど、そうは廻ってこない。何でもやってみるつもりで挑むくらいで、やっと「やれるチャンス」がめぐってくる。
そしてまた大人になると、「とりあえずやってみて、できれば…」では済まされず、「とりあえずでもなんでも、最後は必ずできるように、期限は…」とプレッシャーをかけられることも少なくない。
能力と意思と。
意思で能力を向上させることも。
楽な道はなかなかないね。