野放し

何かを「始める」とき、新しいことに挑もうとするとき、よほどのやらされ仕事でもない限り、それが成功したときのワクワクを夢見たり、期待したりするもの。うまくいくかどうかは保証されていないことも少なくないけれど、思い描いた通りにうまくいけば、楽しいことになりそうだから、それを開始する。不安はつきものだけれど、そこにはいくらかでも希望が満ちている。

 

反対に、何かを「終わらせる」ときというのは、つらいときが多い。うまくいっていたことがだんだん下火になってきたり、役目を終えたことが見えてきたりというのならばまだましで、いくら努力しても全然うまくいかないまま終わるというのはとてもつらく難しい。せっかく今までやってきたのだから、少しはいい目を見たいもの。もしかすると、もう半年継続すれば爆発的ヒットになるかもしれないのに、もう1ヶ月努力すれば日の目を見るかもしれないのに、それを見ることなく「今」終えなければならないとなると、決断をするのはとてもつらい。だから後始末をするのを嫌う人も少なくない。

 

そのためにも、「終了条件」を決めておくことは重要だ。

 

それは、簡単な内容で構わない。ある程度の幅を持っていたところで構わない(何もないよりはよっぽどましだ)。昨今仕事が「プロジェクト」単位で運営されることが多々あるけれど、元来プロジェクトというのは、有期的という大前提がある。ということは、終わりがあるからこそプロジェクト。だからその終了条件を決めておく/明文化しておこうと言うだけだ。

 

それはもしかすると、「○○ファイルが出来上がること」で終了かもしれない。「業界シェア20%をとること」で終了かもしれない。「単期黒字を確保すること」かもしれない。なんでもいいのだ。重要なのは“最初からこうだと決めておくこと”。

同時にプロジェクトは有期的でもある。なのでかならず、「いつまでに」という情報も付随する。すなわち、「いつまでに」「どうなっているか」が規定される。

 

改めてこう書いているのは、いかにそういうことをあいまいに進めているところが少なくないかという経験から。

 

 

ここまで決まっていれば、反省する時期もやり方も簡単だ。「いつまでに」で規定された瞬間を機に、「どうなっているか」が確定されていなければ、反省すればいいだけの話。うまくいっていれば、それを糧に、到達できていなければ反省材料を洗い出して、次のプロジェクトとしてどうするのか、継続するのかやめるのかを洗い出せばいい。

 

プロジェクトとうたっていると、仕事として成り立っているものは、すべて「成功裏に終わらせなければならない」というプレッシャーは確かにある。けれど、そうであるがために、最初から終了条件を明確にせずに、最後にできたところまでで“できた”とすることで完成したとして満足する。それで結果的にはどんなものでも100%達成として処理する。

でも、できたこととやろうとしていたことは、もしかすると違うかもしれない。そのギャップを認識しないようにする癖はあまりよろしくないんじゃないだろうか?結局それだと、目的が明確である必要性すらあいまいに。

 

成長するってつらいことだ。でも最も成長するのは、自分の弱点がきちんと克服されていく時。大人の場合は特に、弱点を知らずしての成長は難しいんじゃないかな。