この先にあるもの

以前私が働いていた会社は、いわゆる組み込み家電業界。ここ20年ほど、ムーアの法則に従って、半導体の集積度がぐんぐん上がることによって、作る製品の性能はうなぎのぼり。

誰もがわかりやすいところで行くと、デジタルカメラの画素数が、当初35万画素あたりから普及し始めたものが、70万、100万、200万、400万、800万、1000万、1200万…と増えてきているのに、カメラ単体の価格帯がいっこうに上がらないあたりから実感してもらえればよいかと。

 

画素数のみならず、CPUもメモリーも性能や容量が増えており、それに伴って、搭載する機能を開発するためのソフトウェア開発コストにも、高機能化とともに、高効率化、開発短期間化の波が襲い始めている。

 

開発規模や受注形態もまちまちなので、一概には言えないかもしれないけれど、大企業の場合は、自分たちで抱える自社エンジニアでの開発と、いわゆる外部の会社に発注したり、外部の会社の方たちがその会社に常駐したり、派遣されてきたり…という形で、開発工数を賄う。そうして出来上がったソフトウェア(ソースコード含む)は、すべてその大企業のものになる。

 

 

ところが、どうもここでは最近、その傾向が徐々に崩れだしてきているらしい。具体的には、外部企業に発注したソフトウェアがソースコードでの納品ではなく、バイナリーベースでの納品となることがあるらしいのだ。

詳しくない方向けにもう少し噛み砕いて書くとすると、外部の協力会社を使って開発した部分のソースコードは、大企業のものとはさせずに、バイナリーのみを納品するという契約形態として、外注単価を下げざるを得ないところまで来ているということ。開発されたアルゴリズムをはじめとするさまざまな情報、ノウハウが含まれているソースコードは、協力会社のものであり、大企業はそのブラックボックス化されたブロックのみを利用することに。

 

もちろんこれは、大企業にしてみれば由々しき事態のはずだ。とある部分の性能の根幹であるソフトウェアが、協力会社に握られている。さほど重要でない部分かもしれないけれど、ソースコードベースでの最終製品納入に対する対価を支払えないくらいの状況に陥り始めているのだ、ということらしい。

 

とはいえ、大企業。それなりに戦略的に検討したうえで、バイナリーベースでの納入なのか、ソースコードを含めた納入なのかなどは、検討してのことなのかもしれない。大企業はとてもしたたかで、頭のいい上層部が判断したうえでの価格削減戦略の一つなのだろう。

しかしとはいえ、そこまでのレベルでキャッシュアウトを制御しなければならない事態に来ているというのは、かなり厳しい状況であることは間違いない。

 

モノづくりということが抱えるハード/ソフトにおける、戦略、設計、製作、品質保証、製造、広告、流通、販売、アフターケア等々といったところを、少しずつ少しずつ外部に委託するうちに、さて自分たちが居るべき価値をどこに積み上げていられるのかがだんだん怪しくなりつつあるような。

 

「じり貧」となっている時の「撤退」の決断ほど難しいものはない、と言われているのはご存じのとおり。さらにそのタイミングも逸すると、実は「撤退」すらできるタイミングを失い、それ以後は「撤退」という選択肢すら失うことさえある。

そして撤退の決断は、よほど恵まれた環境にない限り、大きな痛みを伴う。