君がそこにとどまっているためには

もう初代の「スーパーマリオブラザーズ2」で遊んだことない人なんての、たくさんいるんだろうなぁ。

最近のゲームは、実写と見まがうグラフィックを駆使したものや、複雑なゲームシステムが楽々使えるようなものが主体なのかなぁ。ゲームを本気でやらなくなってかなり経つのではずしてるところがあるかもしれない。

 

いわゆるシューティングゲーム。日本で爆発的に広まったアーケードゲームの草分けたるインベーダーゲーム。昔なら100円で自機が3機?くらいあって、「あぁ、1機撃たれたぁ」とか、「1up!」とか、限られた自機で敵を倒していくことを楽しんだ。

最初は慣れないから1機目はすぐにやられてしまう。でも2機目は、相手からの弾の動きも見えてきたり、一面クリアーして自機が増えたりして、しばらくやり続けることができる。自機が1機だけ、当たれば即終わり、生きるか死ぬか…ではなく、明確に何度チャンスがあるかが「自機の数」で見える化されている。

 

インベーダーの後にも、ギャラクシアン、ギャラガ等々、本当にこの系列のゲームはいくつも作られた。ゼビウスだって基本は同じ。すべて1発被弾したら自機が1台失われる。

 

その後のゲームシステムとして、自機は1機だけだけれど、バリアーシステムでダメージを表し、一発ぐらミサイルなどが当たったところでバリアーシステムが少しダメージを受ける程度で、すぐにはやられない、というシステムも出てきた。あくまで私見ではあるけれど、あれ、シューティングゲームとしては、やっぱりわかりにくかったんじゃないのかなぁ。

 

 

明確に終わりの時はわかる。一か八かではなく何回かチャンスは与えられているけれど、すべてやられたら終了。自機がなくなればおわりなんだ。

 

 

アメリカでは、何度かベンチャーの立ち上げに失敗したくらいでないと、信頼して投資家からお金を貸してもらえない、なんてことも聞いたことがある。本当かどうかは知らない。でも何度目かに大成功をしてリタイアするという連中もいるので、まんざら嘘ではなさそうだ。

 

日本では、誰もが“決して失敗できない”と思っている。いくら1円起業できると言っても、ベンチャー支援策が打たれても、万が一の時に負債を負うという最もリスクの高いところを、体力のある企業ではなく、起業を志す者に負わせている点では、よほどの優れたアイデアでもない限り、起業したいと思えない。

別な事例として、よほど恵まれた人脈を持っている人などで、出資先には困らないこともあるかもしれないけれど、それはごく一部。

だがなんにせよ、一度失敗したら、多分二度と立ち直れない弱者に追い込まれると思っている部分をなんとかしない限り、ベンチャー起業や、新しい起業は、勃興しそうにない。よって一度乗った「船」からは、一生下りずにそのまま行きたくなる。

 

せめてゲームでいう「自機」が明確に3機ありますとか見えていれば、まぁ一度くらいは企業にチャレンジしてみてもいいかな?と考える人は出るかもしれないと思うけれど。権利化したら、それ自体がやり取りされるようになるから、ま、それはそれで課題になりそうだし。

 

 

ただ、そうこうしているうちに、「成功したい!という思い」自体がマーケットから消え始めていないかな。草食だとか、出世したくないとか、安定していればこのままで十分とかいった言動で埋まり始めていたりしないかな。

 

自分はもう走りたくない、立ち止まりたい。でも世界は止まらない。だから、安定?してその相対的ポジションにい続けるためには、世界と同じスピードで動き続けなければならなくて。絶対値として止まっていたら、動いている世界からは、置いてけぼりを食らっちゃうんだよね。