妄想:汲み取る、汲み取らせる

どんな仕事でも構わない、かならず誰かと協力して仕事をしたり、誰かのために働いて対価を得る。分業で成り立っている社会であるため、必ず誰かとコミュニケーションするというところからは逃れられない。

 

優秀な仲間と一緒に仕事をすると、これほど楽しいこともない。それはある意味、気心の知れた友達と同じで、自分がやろうとしている事を1話せば10理解してくれる。頭がいいということもあるのだろうけれど、一緒に働いているということ、同じ方向を向いているということから、「あぁ、そういうことならこっちだな」と感が働き、先回りして理解される。

気づいてもらえた方ももらえた方で、最小の情報を与えれば、的確な応答が返ってくることでともに仕事が早くなったり、仕事の質が上がったりする。細部にわたって細かく説明せずとも通じ合う仕事仲間。思いをくみ取ってくれる仕事仲間。そんな環境で仕事ができている人は、そんなに多くないのかもしれないけれど、もしもそうした状況にいるのならば、それは大切にした方がいい。

 

こうした仕事仲間は、同レベルの同僚であったり、直属の上司と部下だったりすることが多いのではないかと感じている。

 

 

他方、ちょっと大きな組織になると、自分は主任レベルでも、その上の係長、課長、部長、部門長クラスのヒエラルキーがあったりする。組織も何百人もが所属している部門であれば、意思統一も難しい。

しかし、組織を一体として動かすためには、組織の目標や、理念など、「長」たる方々は高らかに謳い、メンバーを鼓舞する。「我々は○○していくのだ!」とか「△△していかなければならない!」とぶち上げる。

 

でもそれだけヒエラルキーがあると、その「長」が言いたいその核となるところや、腹づもりは、メンバー全員にはなかなか見えてこない。が、それでも上記にしたのと同様に、善良なメンバーは、少しでもその思いをくみ取ろうと努力する。

「○○していく…ということはきっと…だろう」

「△△していかなければ…ということは…ということを意味するのだな、きっと」

けれど、階層が幾重にも横たわっているため、本当にそうなのかどうなのか、なかなか確認できない。各々が考えて、きっとこうだろうと思い込んだところは、本当に思い込みでしかないことも十分にあり得る。

そして、やばい真実は、“語られなかったこと”が語っている事であることが少なくない。

 

時に、「長」たるものは、「明言したこと」しか責任を取らない。語っていないことにおいては、責任を取らない。

「そんなことは“言って”いない(君がそう思い込んだんじゃないのか?)」

都合の悪いことになりそうなことは、明言せずに、汲み取らせる。

ずる賢い「長」ほど、こうした手管に長けている。

 

 

ただもし機会があれば、一言突っ込むだけで明白になる。

「○○していく…ということは…という理解でよいのですか?」

ま、さらに狡猾な者はそれすらうまくかわす術を持っていたりするものだが。