選択の段階

日本は有数の温泉宿なんてのがいくつもあり、温泉好きの旅行客も多い。そんな旅館にはさまざまな売りがあり、たとえば料理が素晴らしい事、部屋が広い事、各部屋に露天風呂がついていること…などなど様々。でそのひとつに「何もない事」というのもあったりする。

究極は、電気すら通っていないことを売りにするランプの宿といったところもあるが、何もない事の多くに「テレビを置かない」「時計を置かない」といったことを売りにするところが多い。こういったはからいが受けていること自体、現代生活へのアンチテーゼとしての存在意義が見え隠れする。

 

 

とはいえネットでBlogなんてのを書いているものからとするなら、その正反対の側の楽しみ方も存在するのは自明のこと。ネットでコンテンツを探しまくる、という休日を過ごす方もいる。Youtubeでちょっと気にかかるコンテンツを見始めたが最後、それに関するコンテンツを、次から次へと探しては見、見ては探しと、あっという間に時間が過ぎる。

あくまで私見にすぎないけれど、こういう時間の過ごし方の傾向として、今生まれた新しいコンテンツを探すというよりも、懐かし系コンテンツを探して浸る、という傾向があるんじゃないかな?と想像している。あぁ、あの時…、そうそう、こうだったよね…といった懐かしコンテンツ。まぁ35歳以降の傾向かもね。

 

次から次へと新しい情報のシャワーを浴び続けなければ満足できない、納得できない人たち。そうしているうちに徐々に刺激レベルが高いもの、もっと刺激のあるもの、もっと面白いものを求めなければ満足できない人。次々に新しいことを求め、ちょっと毛色の変わった刺激を求め、次は!次は!!と過激に求め続ける。ある意味(デジタル)刺激耐性のある方、なのかもしれない。

 

しかし世の中、そんなに強い人たちばかりではない。グーっと刺激が増すことで、ストレスレベルも上がりがちになる。緊張度が増す。

と、そんな時にふと、緩和される環境/状況に触れることで、今でいう“癒される”感覚を味わう。それが、温泉でいえば「何もない事」だったりするのだろう。

 

 

 

緊張と緩和、どちらかだけを推奨するつもりはない。両方があるバランスで存在する必要がある。あの企業もやった、この企業もやった、だからうちも…と横並びになるから、バランスを崩す。

でももし、自社で両方完備できたら?それも中途半端な刺激系から癒し系までさまざまなラインナップではなく、究極刺激系、究極癒し系を完備できれば。それこそ2ブランドをうまくコントロールできる力という高等レベルのハンドリングなども必要になりそうだけれど。

 

 

安易な選択をさせることは、企業の怠慢だと思うけれど

究極の選択をさせることは、企業の挑戦ではないのか?