すってんころりん

格闘技に詳しいわけでは決してないが。私の古い記憶を引っ張り出すと、柔道で一番初めに学ぶのは“受け身”だ。相手に倒されたらどう受け身をとるか、投げられたらどう受け身をとるか。格闘技であるがゆえに、相手を投げたい、相手に技をかけたい…、と思いを描く事が多い「派手な」「やりたい」部分ではなく、まず間違いなく「やられる場面においての対処の仕方」を学ぶ。最初から強い人などまずいない。と考えれば非常に理にかなった教育手順であると言える。

 

私が会社員になった当時、そうしたビジネスの失敗の仕方とか、ミスのリカバリーなどは、特に教わった記憶がない。教育係的な先輩に一言、「やばい事こそ、早めに報告しろよ」と言われていたのを記憶している程度で、あとは、やれがんばれ、ほれ成果を上げろと、成功、より大きな成果をどう出すか、どう生み出していくか、どう頑張るか…という方向での教育ばかりだったような。

 

いや、もちろん、ビジネスにおける「受け身の取り方」など、状況次第/ポジションしだいであり、あるパターンで教え込むことが難しい、というのは容易に理解できる。

だがとは言え、そこで失敗したら何が起きるのか、どういう不都合が巻き起こるのか、影響範囲はどこまでに及ぶのかなど、一度は各担当者に「想像させて」もいいのではないだろうか?

いや、そんなことはみんなが勝手にわかるほどの優秀なレベルの社員がそろっていた部署/会社だったから、そうしたトレーニングがなかったのかもしれない。だが、今は規模によってはかかわる人、かかわる部署がさまざまなところにまで及ぶ時代。分業であればあるほど、一つの手続きミスが、一つのスケジュール遅れが、想像もしえなかったようなところにまで及ぶ時代。だからこそ、「スケジュールを守りましょう」とか、「仕様を満足させましょう」などというわかりやすいスローガンでプロジェクトを運営していく。けれど、いざ、やばい状況が起きた時に、それに素早くかつ真剣に対処できる組織でありつづける事ができるのは、“そうした危険性/被害規模がわかっている”からこそではないだろうか。やばくてもなんとかなるさぁ、といった根拠なき危機感の欠如で“ほわん”とした対処でしかスタートできないとなると、それこそやばい状況に陥りかねない。

 

 

過剰に脅すつもりはない。が、安心しすぎるのもどうかと思う。本当にやばいことが起きれば急に対処しなければならない事がありうる、というマインドが、心の片隅にあった上で、でも日々は安心して仕事を続けられる。

仕事に限らず、日々の生活も、国の安全も、変に脅しすぎることも、変に安心しすぎることも、どちらも危ない。部下が怪我をしないように見守るくらいの上司の余裕、があった時代ならよかったかもしれないが、今は上司は上司で、ガチガチに目標管理がなされていたりして、そこに本来含まれているべき部下の育成の割合がどんどん下がっているのではないだろうか?

 

怪我をしない転び方をどこで教えるのか。それこそ自己責任にまかせるのが“効率的”なのか?そんなやり方をしているから、こけることを恐れる→こけたくない→委縮する→リスクを取らない社会になっていないだろうか?