「○○過ぎる」という意味
一時期、美しすぎる○○さん(○○には職業名が入る)というタブロイド紙や雑誌の見出しがおどった時期があったような気がする。そしてたいていが、その○○に相当する部分に入る職業には、(美しすぎるという形容詞の場合には)美しさが売りとなる職業“ではない”名前が入っていた。
逆に言えば、美しさが話題となるような職業、たとえばキャビンアテンダント(昔で言うところのスチュワーデス)や女優、受付嬢などなどという職業には、「美しすぎる」などという形容詞は、まずつかない。
言ってみれば、「美しすぎる」と形容されるような職種においては、その形容詞(今回なら美しさ)に、まぁこの程度だろうと世間的限界値が存在しているということになる。固定観念と評する人もいるだろう。
美しすぎる
イケメン過ぎる
頭が良すぎる
かっこよすぎる
早すぎる
遅すぎる
すごすぎる
…
表現分野は何でもいい、もしもそういう言葉を聞いたり、そういう思いを持った瞬間に、その種のグループや集まりに対する限界値を、何らかの形で自分/社会的レベルで、仮定していたということ。
しかし本当は、そうして仮定されたレベルをもってして、満足であろうと判断しようとしていただけ。そこが限界値ですらない。この程度だろうという思い込みでしかない。
本当は、それさえも超えた何かがあってこそ、人は驚き、大きな価値を感じてくれるものであるはずなのに。
あなた自身が考えている限界/限度を、1mmでも1秒でも超えていなければ、驚きや感動は生まれないはず。すげぇ!と思ったのは、その記録に驚いたのか、その人の努力に驚いたのか?それは自分の仮定の限界を超えただけなのか、その人や物へのリスペクトが生まれたのか?