つくらない人々

パソコン周りを使ったり、ネット関連の仕事をしている人、最近だとスマホでネットを利用している人は、たくさんいる。

だが、じゃぁネットで不特定多数に向かって何かを投稿している人はどのくらいいるのだろう?簡単なところでは、SNSへの写真投稿でいい。毎日とは言わない、写真を撮ったらちょっと投稿とか、文章を投稿とか、手が込んでくるとショートビデオを投稿とか、写真共有サイト、Blog、ホームページ…なんでもいい、どのくらい使っているだろうか?

 

年代によっても違うだろう。使い勝手のいいツールがある人によっても違うだろう。20代、30代くらいなら結構な比率かもしれないが、40代、50代以上となると、たぶん一気にその比率は下がるのではないだろうか?そうして発信している人とそうでない人が、かなりくっきりと分かれてしまう。

 

他人の発した情報は読むけれど、自分の情報を、わざわざ顔も知らぬ大多数に向けて発信するなんてことを考えたことがなかった人々。こういう世代/考えの方々にとって、クリエイティブツールのパソコンは、“ボタン”が多すぎたのだろう。パッシブツールとしては、On/Off、見ているものを変更、別のページ/チャンネル、くらいのボタン数で十分。だからテレビのリモコンは、(今は別だが)昔はチャンネル、音量、On/Offボタンで十分だった。多少コントロールするときにはじめて、リモコンを開けて、なかの予備のボタンを触る程度。

そして、そういう人たちにとって絶好のツールなのが、たぶんタブレット。必要になるときにしか、必要なボタンが画面に出てこない。

 

要するに、パッシブな人のためのツール(として使われているもの)こそが、タブレット。すでにパソコン売り上げは低下し、タブレットに徐々にシフトし始めている。

卑近な証拠に、私の周りにおいては、タブレットを“パソコンに接続”してバックアップするなどという発想はない。私が面倒を見ている何人分かのタブレットにおいて、パソコンにつないでバックアップが取れるように設定はしているけれど、いざ使い始めてみると、何ヶ月も/半年以上もパソコンにつないだ形跡がないものばかり。

たぶん“さわるテレビ”としてのパッシブな情報“受信”端末を、ちょこっと指で触れる。そういうポジションが、多くの人に求められていた(あっ、ここでいう“テレビ”は昭和時代のテレビであり、今の“デジタルテレビ”ではない)。

 

だからそうしたタブレットユーザーにおいて、コンテンツを作ろう、などという動機もない。特に情報発信がしたい、とも思わない。それは触れて/触っれる情報受信端末、ちょっとリッチな“テレビ”。

発信しているように見えるのは、ある意味、井戸端会議の延長である人がほとんどで、不特定多数の人たちに向けて何かを出したいと思っている人などほとんどいない。

 

 

…という装置やサービスを作っている人たちは、そうした装置を使いこなさなければ仕事ができない状況がある。そういう装置を使いこなし、120%の能力を出し切れる人がほとんど。だけれど、それらを“使うだけの人”は、そんな機能を120%出し切れる人はほとんどおらず、その一部、それも仰々しく使うのではなく、パッシブな機能とチョコッとコミュニケーションしたい機能だったり。

 

皆が“つくる”世界、という幻想はある。

でもそれでも、大半が“つくらない人々”というのが現実。