水面下に潜むもの

この春に就職した人も、そろそろ職場にも慣れ、会社の状況も見え始めたころではないだろうか。早い人だと、その会社に見切りをつけるなんて人もいると聞く。1年で何割かが会社を辞めるという現在。その割に厳しい就職状況。雇用のミスマッチが喧伝される要因にもなっている。就職難で辞める人も減っているのだろうか?

 

で、そうしたミスマッチだった人/思った仕事ではないけれどとりあえずやっている人において、ではやりたい仕事は何か?と質問したとしよう。そもそもそうした“やりたい仕事”、“やっていきたい事”がクリアーになっている人というのは、実はそんなに多くないのではないだろうか?

 

 いや、私は○○がしたい。

 △△がやってみたいと思っている。

 

口先ではそういう人は確かにいる。が、それは時に非常にプリミティブ(トラックの運転がしてみたい…)であったり、大変ピンポイントの“行動”としか言いようのないものにあこがれている場合(店先で販売デモをしてみたい…)である場合も少なくない。

 

もちろん、そうしたこと“しか”できない、と考えている人たちもいることは確かだ。それはそれで仕方がないだろう。だが、そうではない何かそれよりも少し大きな視点を持っていたなら?それを持てる人であるなら?それは単なる“行動”ではなく、ビジョンに昇華できる可能性がある。

“行動”は、まさしく行動そのものを指し示すだけだけれど、“ビジョン”は、それを実現するために、さまざまな付帯行動が含まれてくる。まさにくっついてくることになる。それら雑事、面倒なこと等々を含めて、それらをどうこなしていくか。指示待ち現場になるのではなく、いわゆる考える現場、よりインテリジェントな末端であることを示す機会。

 

 

 

たとえば、「新しいお菓子を食べるライフスタイルを作り出したい」と言うビジョンを持っていたとしよう。となれば、今の人々の空き時間を調べ、一日の消費カロリーを調べ、接種カロリーを調べ、現状のライフスタイルをくまなく調べ上げる作業が必要がある。その上で、割り込めそうな時間、それがないなら、何かを削ってお菓子を食べてくれそうな時間を見つけ出す作業…と、考えることはさまざまに広がる事になる。

さらにそうした中において、どんなお菓子がいいのか、片手で持てるものか、両手を必要とするのか、多少こぼれても問題ないのか、ポロポロこぼれると問題になるのか、消化は良い方がいいのか、何カロリーまでならいいのか、携帯できる方がいいのか、日持ちはしなくていいのか、どこで購入してもらえるのか、食べる時間はいつごろを目指すのか、食べることでおなかがいっぱいにならないといけないのか、口さみしさを補えばいいのか…などなど、考えるべきこと、調査すべきことは本当にたくさんある。

これらを自分で調べたり、バランスを取った上で、採算に乗る可能性を示す企画書を作り、プレゼン資料を作って稟議を通すのが“商品企画”であったりするのだけれど、その最後(プレゼン)だけをやりたい!だけでは、そもそも商品企画がやりたいのではなく、派手なプレゼンだけをかっこよくしたいという夢があるだけにすぎない。しかしそれは“水面に出ている氷山の一角”にすぎず、それをやるためには、“水面下の氷山”を準備しなければ、そもそも“水面の上”にそれだけの規模を表すことができない。

 

あまりにあたりまえだけれど、“やりたいこと”には、“いくらかのやりたくないこと”がくっついてくる。いや、ふつう、“いくらかのやりたくないこと”の中に、“ほんの少しだけやりたいこと”が隠れているに等しい。それをどうやって掘り当てるのか、どうやってそんな山の中に潜む“ひとかけら”を取り出すのか。そのためには、やりたいことが“ビジョン”として成り立っていなければ、そもそもやりたくないことに阻まれてしまう。

 

小さくてもいい、本当にその“やりたいこと”は、それを実践するためにくっついてくるであろう“できればやりたくはないけれど、やらざるを得ないこと”がなんなのかを、書き出してみてはどうだろう?そうすれば、今、嫌なことで忙殺されているかもしれない現状が、“着実にやりたいことに向かっている上での面倒なこと”なのか、いや、単に“やりたいことにはつながっていないやりたくないこと”をしているのかの判断がつくんじゃないだろうか?自分が、自分の目指す大氷山の下を作っているのか、他人の氷山の下ばかりを手伝っているのか。それが確認できるだけでも、得るモノは大きい。