スキマとスキマ

みなさんは車を運転されるだろうか?今でこそ電気自動車が徐々に出回り始めているけれど、内部に内燃機関としてのエンジンを内包している、ガソリン/ディーゼル車がまだ大半。

 

仕組みを細かく説明するつもりはないけれど、エンジンの内部において燃料が爆発してピストンが上下し、それを回転運動に変えて車は走り続ける。

上下運動を、回転運動に変え、それを何段もの歯車の組み合わせを使いながらタイヤに伝えることで、力を出したり、スピードを出したりする機構を作り上げている車。そのピストンとシリンダー(ピストンが上下する筒)の間に隙間がありすぎると、爆発力が伝わるのにロスが出る。が、隙間が少なすぎるとそもそもピストンが上下せずにつっかえる。その絶妙なスキマ具合があるからこそ、仕組みは動いていると言ってもいいかもしれない。

別にそれはピストン/シリンダーに限らず、歯車においても同じこと。歯車同士において、多少の隙間があるからこそ歯車は回転し、エネルギーを伝える。隙間がありすぎると力を伝達するのに遅れが出たり、力のロスが出たりする。が、隙間がなさすぎるとそもそも歯車は回らなくなる。ここも絶妙なスキマ具合が必要になる。

そして、その隙間に潤滑油たる油が入っているからこそ、滑らかに力は伝わり、物事がスムーズに動く。油が切れると焼きついたり、ガタツクことがあったりと、滑らかさを失う。

 

 

スキマは、物事が滑らかに動き出すのに“必要”なもの。そしてそこはスキマだけではなく、隙間を埋める滑らかな物質が入り込むスペース。だけれど、スキマが大きすぎても小さすぎても滑らかさを欠く。適切な大きさの、適切なスキマがあることこそが、滑らか物質をいざない、世の中を、滑らかに流す役割を担う。

 

あっちに大きな隙間があったから、ここは隙間が少なくていい…ということではない。全体の割合として、隙間が何割あればいい、ではない。適切な場所に、適切な規模のスキマがあり、適切なスキマに適切な潤滑油があってはじめて、物事が流れ出す。

 

時に、スキマはスペース削減のためににも利用される。究極的に小さくすることを目的として隙間を削減することもあるけれど、その“スキマ”と、動くための“スキマ”は区別した方がいい。相対として意味のないスキマと、部品と部品の相対位置として意味のあるスキマには、おなじ距離感を扱う言葉であらわすものとしても、違う意味を持っている。

 

スキマ、もっと大きくとらえるなら、間(ま)とか空間に意味を見出すことは他にもたくさんある。絵画や写真における構図、格闘技における相手との距離感。詰め込むことで効率が上がるところと、詰め込みすぎることで効率が下がるところ。

何もない時空間が醸し出しているものは、意外に大きい。