夢をまとめる力

仕事の一つのテクニックとして、見える化はかなり有効なツール。単純に数値として表れているものをグラフにするだけでも、一気に理解が進むことは確かにある。

 

理解が進むことで、ウィークポイントが一目でわかったり、概念的に抑えるべきポイントへの認識の一致を図ることも容易になる。言葉で教えられる道順よりも、地図を示しながら説明される道順の方が呑み込みやすい、のにも似たような所があるのかもしれない。

 

そうして簡単に「見せられる形」に直せるものもあるけれど、見せるためには、相当苦労して準備をしなければならないものもある。「ずっとずっと時間をかけて、そうしてやっとグラフ上の点がひとつ打てる(sigh)」なんていう実験の場合、意味あるグラフを作るのには、点の数×何十時間…なんて苦労も十分にあり得る。が、理解する方は一瞬。グラフを一瞥して終わる。見る者に、苦労がどこまで理解されているかは期待する方が間違いかもしれないが。

 

他方、見せられる方も大変だ。まとめ方が悪いと、似たようなちょっと違うグラフが何枚も続く、なんていうプレゼン資料もたくさんある。比較のために比率で表しているグラフに意味がある場合もあれば、いやいや、そもそも絶対値の持つ意味の方が重要な場合もある。よく考慮されずに図式化されているものは、そもそも「図の見方」を理解するところから始まるので本末転倒…ということも少なくない。

 

すべてを図示しなければならない…というプレッシャーもあるかもしれない。そもそも、図示することが難しいデータというものも存在する。が、それを簡単に、「それさぁ、なんか一枚でビシッと一目でわかるようにできないかなぁ」なんて決裁者がふとつぶやいたことで、担当者は七転八倒の苦しみに陥れられたりもする。

 

反対に、そうした見たいものと見せたいもののかい離をうまく利用して、うまく見せたい形でのみ見せる、というテクニックを駆使する人もいる。ま、逃げでしかないことが多いのだけれど。

 

 

ここまでの多くは、出来上がってきた結果としてのデータ、現象を図示することがほとんど。だけど、今多くの場面において必要な「図」は、現実化できるかもしれない!と参加する人が希望を持てる図、プロジェクトでいうなら、目標や目的を表す図。それは今具体的な数値がない。予想でしかない。

 

へたな図を描くと、「そんなんじゃたいしたことねーだろ」となり

仰々しく書きすぎると、「そんなでかい事、できるわけねーだろ」となり

小さすぎると、「そんなチンケなことやってられるかよ」となり

複雑すぎると、「そんなの誰もやりたいと思わねーよ」となり

 

みんなが乗ってくる、みんなを乗せられる絵を描く、図を見せる、夢を見せることがどれほど難しいのかを実感する。

ありもののデータの図もいい、が、その先の夢を絵にする力。それは「見える化」とも言えるが、無理に言うなら「見せる化」だろうか。

手が届く夢、届きそうだと思わせる夢、実現させたいと誰もが思う夢、そしてそれらを実現できる人、プロデュースできる人、それらの力すべてを持ち合わせている人を探そうとするのは無理だ。だが、そうした力のうちの一つを持っている人はどこかにいる。そうした人を束ねるために最初に必要なのは、そうした技能を結集させる力、夢をまとめる力。