副作用

 

 

市販薬は、広範な症状に効くけれど、効き目は弱かったりもする。ま、とはいえ日々いろいろと工夫が凝らされてきてはいるんだろうけれど。

医者に掛かり、処方箋をもらって薬局で処方してもらう薬は、適切に症状を診断され、基本それに対してピンポイントで効く薬を調合してもらうことになる。当然ながら、よく効くことが多い。

とは言え、医者や薬も万能ではない。厄介な病に対しては、投与を躊躇する薬もあるだろう。確かに「その症状」にはよく効くのだけれど、副作用も強かったりするそんな薬。医者はそうした点を十分に考慮/説明したうえで、使うか使わないのかを、患者と相談しつつ決めていく。それでも当然、強力な副作用に悩まされることもある。でもそれも知った上での治療。副作用を最小に抑えつつ、治療の効果を最大に引き出したい。治療に対するナビゲーターたる医者がそばにいて、メリットと共にデメリットも引き受けたうえで、一緒に治療に向かっていく。

 

 

今僕たちは、20年前には一般には想像もしなかったような、強力な“薬”、インターネットを手に入れた。海外ではその利用の仕方が良いのか悪いのか、国の政権が危うくなったりもするし、世界全体から見て良い方に改善されるという力になることもある。暴かれるはずもなかった一部の悪行が暴かれる快感と、暴かれるはずもなかった何十何百何千万人のプライバシーといった悪寒。

 

 

インターネットという道具が僕らの手にわたってからまだ10年ちょっと。大人だってその道具の使い方は十分に熟知していない。だからこそビジネスチャンスもある土壌となっているともいえる。

 

そんな未だ使いこなせていない道具だからこそ、明確にナビゲートできる人も少ない/いない。と、へたをすればその強力なネットの力/道具の力を、“自分の力”と間違って使うことによって、強力な副作用を受けることもある。

敵対視している方に力が向けられれば、国を倒せるほどの強力な力を及ぼす道具。だがもし一つ間違ってその力が“自分”に向けて刃を突き付けてくるようなことになってしまえば、相当深い傷を覚悟しなければならない。

 

強い力を手に入れれば入れるほど、実はそれを、抑制的に使うことを学ばなければならなくなる。副作用の代償をぐっとかみしめて。

 

○○に刃物。

持つ者を抑制するのか、持つ物を抑制するのか。