ある/使える/使う

もうご家庭にはお持ちでないところも増えたんだろう。みなさん「ビデオデッキ」はまだお持ちだろうか?すでにレンタルビデオはDVDというメディアになり、とっくにVHSというテープデッキはすたれているだろう昨今。

 

今なら、ハードディスクレコーダー。番組表から見たい番組を「これっ!」と選ぶことで録画予約も一発という機種が多い事だろう。だがVHSデッキのころは、「開始時間は何時で、終了時間は何時で、何チャンネルで…」と一つ一つセット。たとえば24時間設定のデッキだと、7時なのか、19時なのかを間違えると夜のアニメを録るつもりが、朝のワイドショーを録っていたなんてまちがいも普通に起こる。チャンネルを間違えるなんてのもザラに起きた時代。…であるため、かなりの人が「予約録画できない」とか、「予約は子供に任せている」という世帯が普通にあった。

他にも、今でいうチャプターを打つ機能をはじめ、録画時、再生時に少しでも便利になるさまざまな機能をメーカーは搭載し、またそれを売り文句の一つとして機器を売り出していた。だが、使えていた人たちはどれだけいたのか。廃棄されるまで結局使われずにいた機能はどれだけあったのか。

 

別にそれが“ビデオデッキ”だけに限らないのはよく御存じの通り。たとえば、徐々に二つ折りのケータイからスマートホン比率が高まっていたりするけれど、どれだけの人がスマートホンの多くの機能を使いこなしているだろう?スマートホンでなければならない人なんだろう?

 

いや、スマートホンじゃなくて、ガラパゴスケータイでも構わない。さすがに写真くらいはほとんどの人がケータイを使って撮ることができるようだけれど、それをケータイで見る、メールで送る以外の方法を知っている人はどのくらいいるのか?パソコンに転送するのはどうすればいいのか?取り出して印刷するには?やりたくても知らない人、使えていない人はごまんといるだろう。

 

スマートホンならもっといろいろできる。無料でアプリも手に入る…らしい…でもどうすれば手に入るのかわからない人、まだまだたくさんいらっしゃるんじゃないだろうか?いや、別に無理に知る必要すらなく、それで持ち主が満足しているなら、それはそれで良しとする考え方もあるけれど。

 

機能があるのは知っている。マニュアルにも書いてあるんだろう、だが読まれたことはなさそうだけれど。たぶんできるんだろう、マニュアルのどこを読めばいいのかわからないけれど。そんな機能がたくさん。メーカーも遅くとも年に1回、早いと半年/3ヶ月に1回くらいの頻度で、どんどん新しいものを出してくる。

それらと同じサイクルで、どんどん成長していく人たちもいる。苦も無く使いこなす若者たちがいる。でも、結構多くの人たちは、使いこなせず、悩みながらも、何となく新しいものを買う。使いもしない新機能にお金を払いながら、無駄に高いものを交わされる。こんな機能要らないんだけどと言いながら。

 

 

ハードウェアとして機能があったとしても、使いこなせなければ、その人にとってのその機能は、価値はないに等しい。仕組みがあって、それを使えばできるとされていたとしても、それがあまりに手数がかかったり、めんどくさい手順を踏まなければならなかったりすれば、最初の一回こそ頑張ったとしても、やがて使われなくなり、手順すら忘れられて行く。

 

機能として「ある」事と、機能として「使える」ことには大きなハードルが存在している。そしてそれを「ある」から「使える」ものに変えているファクターは、まぎれもなく「人」。その「人」の部分を乗り越えるためのキーワードとして、ユーザーインターフェイス(UI)が重要とも言われるし、確かにそうだろう。使いやすくすれば使われる機会も増える。

 

だが、その機能、本当に「使う」だろうか?工夫して使いやすくされているのもわかるけれど、それを使う場面があるのだろうか?

根本的に暮らしをどう変えたいのか、人のライフスタイルをどうしたいのか、どんな世界にしたいのか。変わっていく中心は「人」であり、ライフスタイルを決めていくのも「人」であり。機械がいくら変わったところで「人」の考え方、スタイルが変わらなければ、あまりに機能変化/世代変化がはやい道具が入り込もうとしても、人々は分からないし使えない。人々の心と生活に浸透するには時間がかかるのに、機能自身が受け入れられなかった場合は特に、陳腐化する速度が早く、意味のないものに成り下がっていく。

 

数年前のテレビについていた3D機能は誰が使っているのか。3Dメガネは何回人の顔に乗ったのか。そしてそれらを決めるためには何千人という人たちが取り決め、開発し、テストして来たか。すべてのメーカー、映像関係者の検討、開発、製造費を想像するだけで、何百、何千億円が使われていたことだろう。

 

本気で「使って」もらい続けるには、よほど優れた/人に浸透する機能でない限り、使い続けてもらう努力が必要になる。その努力をする覚悟があるのか。ずっとメンテナンスしていくつもりがあるのか、使ってもらえるように寄り添っていくつもりがあるのか。特に成熟製品カテゴリーにおいては、覚悟無き開発が、無駄を生み、最悪の場合、その後の発展さえも阻害する。安易に次の“新しい”を乗せることで、自滅することさえ。