手品を見ている幸せ

ここ何年も見ていないけれど、手品は好きだ。数年前には、テレビが取り上げたこともあって、テーブルマジックなどがぐっと盛り上がったりもした。20年前ならミスターマリックだろうか。手品もわりと周期的なネタなのかな。

 

手品は、あり得ない/予想できない状況が目の前で起こることに驚きがある。「こうなります」と言って、その通りになるのが面白いわけじゃない。予想もしていなかった結果を見せられることで、すごい!まるで魔法のようだ!となる。

 

だが当然ながら、そこにはタネがある。テクニックがある。事前に仕込み、それをわからないように、さまざまなテクニックを駆使して“魔法”を演出する。(日本人は特に、そのタネがどうなっているかを知りたがるという傾向が強いと聞いたことがあるけれど…。)

 

 

ITという技術が家電に押し寄せてきて10年?20年?パソコンが各家庭にいきわたりだし、ケータイ電話もスマホに変容しつつある昨今。

でもその割に、「ルーターに接続するための設定」や「あのWebメールをここで取り込むための設定」「こっちのパソコンと予定を同期するための設定」「写真を共有するための設定」等々、もう“設定”しなければならないことが多すぎる。最近ではプライバシー問題も心配しなければならず、設定の中のひとつとして“暗号化”だ“パスワード”だなんだとなると、その手順にさらにもうひとつベールがかかったことにもなり、とってもとってもとってもややこしいことこの上ない。

 

設定が簡単なものばかりならまだしも、多くのものが、その技術的背景に根差した専門用語で説明されることが多いそうした設定。まるで「手品のタネ」を自分で設定してくださいね、と言わんばかり。みんなが華麗な手品をしたいわけではない、手品を見たい/楽しみたいだけなのに、そうしなければ、売りの機能/“魔法”が使えないなんてことになっている。

 

よくできた技術は、まるで魔法のようだ、なんて言葉があるらしいけれど、魔法のために自分でタネを懇切丁寧に仕込まなきゃいけない/使えないとなっているなら、魔法でもなんでもないじゃん。手品を見る“観客側”ですらない。裏方できちんと準備する/見せる側じゃないか。見せる側に加担しないとできない手品。そもそもその“手品”、誰に見せてるんだよ。本当の“魔法”を見せてよ。