学んでいない「学び」

人生生まれてからこれまで、各科目/教科については学んできたけれど、「学び方」はどこで学んできただろう?またそれらを教えてくれたところはあったんだろうか?

 

塾というシステム。リアルな数値を知っているわけではないので何とも言えないのだが、今の小中学校の生徒の何割かは、なんらかの塾に通っているのではないだろうか。いわゆる塾ではなくとも、習い事まで含めると、たぶんほぼ全員に近い形で、何らかの習い事をしたことがあるのではないだろうか。

 

それが水泳でも、英語教室でも、空手、ピアノ、習字、学習塾、何でも構わない。そこではその“水泳”、“英語”、“空手”、“ピアノ”、“習字”、等々の学びのステップを準備してくれている。たとえばそれが水泳だとするならたとえば、水に顔がつけられる、水中に全身で潜れる、けのびができる、バタ足ができる、ビート板で泳げる、ビート板なしで泳げる、息継ぎができる…といったステップ。

こうした適切なステップを各学習対象毎に設定してあり、それらを徐々にクリアーしていく、ステップアップしていくことで学んでいく。

 

こうして中学、高校を経て、大学にはいったり、就職したりする。と、途端に学ぶべき内容が変わる。事務作業や接客業、作業員としての作業やソフトウェア開発、ラインでの組み立て作業などなど、それこそさまざま。だが、どこにも適切なステップは用意されていない。ステップの作り方さえ知らない。何となく見よう見まねでうまく習得できた人/できる人は天性の才能か、もしくはラッキーで。たいていは苦しみながら、失敗しながら、七転八倒して身に着ける。

さらにだんだんとそういう人たちが会社の中で指導的立場になれば、リーダーとして仕事を取りまとめたり、初心者を指揮していかなければならなくなる。

その時に必要な力、リーダーシップや実践する力の他にも、ステップを切る力/段取り力と呼ばれる力もあるだろう。この段取り力、どこで学べばいいだろう?まさにこれこそ、仕事をステップとして/適切な段階作業として分解できる力、適切な大きさに分解できる力ではないだろうか?

 

それまでは、用意されたステップに乗っかって成長してきたけれど、そういうステップ自身を自ら作り上げるという学びの機会は明確化されていないのではないだろうか?そしてもしそういう力を系統だって学ぶ機会ができれば、それを学べるということが分かれば、今よりもずっと成長速度が速く、仲間を引っ張れる力の一部を身に着けられるようにはならないだろうか?

 

適切なステップを作り出すことができれば、あとは誰でもその階段を一段ずつ上がって行けばよいだけだ。もちろん、一段飛ばしで上がれる人もいれば、なかなか次の段に上がれない人もいるかもしれない。けれど誰もが、自分が着実に成長できるとわかるステップを、自らで作れる/作り出せるとしたら?