「あまちゃん」パラレルワールド

NHKの朝の連続テレビドラマ「あまちゃん」の調子がいい。

日経エンタテインメント!としてこんな記事もでている。

 

 「懐かしさ、切なさ、今っぽさ…おじさんの心つかんだ「あまちゃん」」

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私も流行りにあやかって、少しだけ自説を唱えてみたい。

 

 

 

別に「あまちゃん」に限らず、あまたあるテレビドラマは、現代のリアルな場面でロケーション撮影し、現在の生活との状態とリンクしている。流行りの店先を使ったり、現実感を雰囲気として持ち込む。実際にロケ撮影された場所が話題になったり、その店に人が押し寄せたりということも、過去に幾度となく起きている。

 

しかし視聴者は当然、ドラマでのそれは作り物の世界での出来事だと知っている。それはドラマ向けに作られたワンシーンであって、自分が同じ場所を訪れたところで、同じことはおきないし、当然同じようには振る舞うことはできない。それは、“現実を借りたバーチャルな世界”がドラマの中に展開しているものだろうと理解されている。

 

で「あまちゃん」は?

 

 

結論から先に書くなら、それはバーチャルなドラマの中に、“現実だった世界での出来事”を練りこむことにより、視聴者たる過去の自分たちが、どこかで「あまちゃん」世界とつながっている、という、そんな“借り物”ではない/どこかで実際に自分たちと本当につながっている一体感を、今までのドラマ以上に感じているのではないだろうか?

それを敏感に感じ取ってか、劇中歌の「潮騒のメモリー」がCD化されたりと、仕掛ける方もしたたかに反応している。現実感を強調してきている。

 

もちろん、実際の1980年代にはアイドル「天野春子」もいなかったし、当時「潮騒のメモリー」という歌も流行っていないし、存在もしていない。が、それにもかかわらず、そうした勢いというか、当時の感覚を支えているのは、当時実際に流行していた曲や事象を交えることによる“空気”ではないだろうか。

 

日本人は“空気”が好きだ。空気を読めとか、逆に読めない奴ということが、人の能力としての判断材料にさえされる。そうした当時の感覚、“そうそう、そうだったよね”といった雰囲気、そして当時本当に流行っていた流行歌などを混ぜ込むことで、パラレルワールド的な状況を生み出す。もしかして何か一つ違えば、当時の先にはこういう未来があったかもしれないと思わせる感覚。

 

 

「仮想現実」とか「拡張現実(Augmented Reality AR)」といった言葉やソフトがIT業界では取沙汰されることがある。たいていは、高性能ゲーム機などの中での話であることが多かったり、最近ではスマホのカメラ撮影アプリなどでも扱われることがある。

技術を持つもの、技術で飯を食っているものは、そうした最新のIT技術で新しい世界を見せよう、見せることで価値を生み出そうとして、日々努力し、研鑽を積んでいる。

確かにそうしたゲームやスマホのアプリでも受けているけれど、だが現実に大きな話題を巻き起こしているのは、技術に裏付けられた拡張現実ではなく、ドラマに練りこまれた拡張現実。

 

現実世界に実際起きたこと/起きていることと微妙にシンクロしながら、パラレルワールドをドラマとして描くことにより、現実と“比較”されて、今の自分たちがあぶりだされる。そうしたことをどうやって起こすか。それが先進的な技術に裏付けられたデジタル技術であろうと、非常にアナログなシナリオや芝居、ドラマなのか、そんなネタ元に人々はこだわらない。人々を元気にさせる、楽しくさせる、ワクワクさせる…。人々を元気にさせるという目的は、手段には依存しない。