ベスト/ワースト

やっと夏休みに入ったと思ったら、すでに小売店においてはクリアランスセールなどと称して、夏物が割安になり始めている。必ず季節を前倒しして進むそうしたセール。早いな。

 

その季節において良いもの、最高のものを選ぼうと思ったら、タイミングとしてその一番出始めに“飛びついていく”というのが一つの手だ。新しいもの/最新のものは、売り手からすると数が出るとは限らない。となるとことさら、買い手は、一番最初に目をつけ/手を付けておかないと、二度と手に入らなくなるかもしれない。

 

だが半面、そうして飛びついたはいいものの、実はその後に、爆発的に流行る何かが出るかもしれない。まぁ新しいものに限らず、こうした物が出てくるのはタイミングによらないところもある。となると、じっくり情勢を見極めて、爆発的に流行り始めるそのすぐ手前でそれに乗る、というのが次の手か。はずす確率も低めに抑えられそうだ。が、株価と同じく、ベストタイミング/底値で買えるなんてのはあてにしない方がいい。自分がほしいな、と思った時がお買い時。

 

 

どちらにせよ、流行りや、良いものにおいて、自分において“もっとも良いもの”“ベスト”を選びたい!という欲求が、こうした行動を助長する。最高を選べる/選ぼうと動く。

しかし、そんなにいつも本当に“ベスト”を選べているだろうか?いや、ベストを選べているということが上記のようにほぼないことを自覚すると、実は、ベスト狙いではなく、“ワースト”を避けていないだろうか?

 

“次善の策”として、ベストがなければ、ベターを選択しているということもあるけれど、実はベスト以外はすべて同じに見えていたりしないだろうか?そんな時の判断基準として「消去法」などと称するときもあるけれど、結局、最悪は選びたくないという選択方法でしかない。

 

でも人生なんて所詮、最高の状態が選べることなんてないよね。

あなたのあの時の選択は、今手元にある何かは、どうやって選んだんだろう?