シンボライズ

分かっている人にとっては当たり前の話なのだが、某所でちょっと受けがよかったので書き出してみる。

 

 

仕事をチームで動かす必要があったり、何人かを束ねて仕事をしなければならないときには、目標を共有する必要がある。

たとえばコンサートイベントのようなものを思い浮かべてみよう。

スタッフTシャツというものがあって、関係者は皆これを着ていたりする。またこれを着ている人の間においては皆、このコンサートを成功裏に迎えるための努力を惜しまない人だという「仲間意識」が生まれたりもする。コンサートのようなイベントなら「どうなれば成功なのか」を改めて語る必要もなく、ターゲットなどもその歌手や演者によって既に設定されているものもあるため、改めて再定義する必要もほとんどない。

 

製造業でも、一般イベントにおいても、チームで仕事を成し遂げる際、その目標やターゲットを、かかわるメンバー全員で共有することは案外難しい。人数が多ければ多いほど、カテゴリーが成熟していればいるほど、実は細かなターゲット意識、スコープの共有ができているか否かが、細部の造りこみに影響を与える。一人一人の細かな指示を与えることができる人数ならまだしも、何十人で動かすプロジェクトともなれば、その意識を統一するのは至難の業だ。

 

そんな時、そうした内容をシンボライズしたキャラクターやマーク、ロゴひとつあれば、またそうしたマークやロゴがついたグッズがメンバーにいきわたっていれば、それだけで意識が一つにまとまることがある。

 

私見ではあるけれど、日本の企業に比べて、欧米の企業は、概してこうしたキャラクタライズ、ロゴなどを生み出すのがうまいように感じる。良いシンボルができた瞬間に、メンバーの力が結集され、その力は増幅される可能性が高まる。

 

マーク自体をコンサートグッズとして購入されるものにすることもできるが、それは二次的効用に過ぎない。ほんとうは、そうしてシンボル化されたことにより、意識が、細部が、皆に意識されることで、細かな指示を与えずとも成功へと導いてくれる道しるべ。

それをわかって作り上げているチームはすごい。分からずともシンボルを作るのでもまだましだ。

 

ロゴでもシンボルでもいい。“象徴”というのは、案外効果的な意識を集中させるひとつのモノとなりえる。