競争相手

あなたは誰と競っているのだろう?社会人なら同期入社の彼か。生徒/学生ならできるあいつ、隣のクラスの彼/彼女、といった感じだろうか。

 

だが何を競う?定期テスト?営業成績?毎日の外回り訪問数かもしれない?

それらを比べてどうするのか?今日は勝った、今季は負けた。

確かに勝てばうれしいだろう。やったぞ!という満足感はある。負ければ悔しいだろう。次回こそと思い直して発奮する。

しかしもしかすると、それは競争相手が、たまたま体調がよくなかったのかもしれない。相手に比べて自分が得意な分野の題材が、偶然当たっただけかもしれない。

実際の社会において、競争で打ち勝つのはそんな偶然なのかもしれない。それによって昇進できればラッキー。だが、そんなたまたまを狙いたいだけなのか?本当に競っている相手は、目的はなんだろう?

 

実は競争相手は“自分”ではないだろうか?それはたとえば“昨日の自分”とか“先週の自分”。

 

 

しかしどうやってそんな“自分”と競うのか?“昨日の自分”と“今日の自分”なんて、そんなに変わってないんじゃないのか?

確かに、そう目立っては変わっていないだろう。しかしだからと言って何もしなければ今までと変わらず、これからも何も分からない。ではどうすればいいのか?

 

一つ分かりやすい事例がある。多くの人がやっていたり、やっている事例を知っているあれだ。

 

ダイエット、すでに多くの人が試み、あきらめ、成功している“流行りの”イベントだろう。何をさておいても体重を減らしたい。そのために毎日体重を測ることはないだろうか?おとといは60Kg、昨日は飲み会で食べすぎたので61kg、今日は頑張って運動をしたので60kgに戻せた…なんてのは、健康管理に少しは気を使っている人がやっている事。

ただ測るという人もいらっしゃるだろうけれど、そこをもうひと踏ん張りして、日々のグラフに付ける。別にExcelでつけろなんて言わない。小学生のように紙に書いておくだけでいい。グラフに書けば、時系列でどのくらい変化しているのか、少しずつでも減る傾向にあるのか、いや、全く変わっていないのかがすぐにわかる。紙以外でも、今どきならスマホのアプリなどでも記録できるものがあるだろうし、高性能な体重計には記録機能があるものもある。

結局「記録」することだ。昨日の自分、先週の自分、一か月前の自分、一年前の自分を正確に覚えていることなどできない。それをきちんと記録し、記録された過去の“自分”と比べてみる。

相手が自分であるなら、運はない。自分がやったかやっていないか。できたか出来なかったか。もちろん、伸びないときもある。ずっと負け続けるときもあるかもしれない。その理由は自分自身は知っている。本当に風邪をひいて体調が悪い時ならば仕方がない。でも自らの怠惰でサボってしまったことも自分自身で知っている。運ではない。記録はうそをつかない。やったらやった分だけ、やらなければやらなかった分だけ何らかの痕跡を残す。

 

私はそうではないけれど、ボディービルダーなどはトレーニングに際して、筋肉はうそをつかないと言うとか言わないとか。数値に残しはしないかもしれないものの、実感しているということではないだろうか。

 

もちろん、歳を取れば衰えることもある。が、もしかするとそれさえも、記録することで、衰えがゆっくりになるかもしれない。いや、今のままずっと維持できるかもしれない。年齢によらずにさらに成長できるかもしれない。そこに持っていくのは自分であり、競う相手も自分であり。

 

そのためには記録しよう。競うべきことに関してのデータを付ける習慣をつけよう。何を記録するかを考えよう。

別にスマホなどなくてもいい。パソコンの表計算でなくてもいい。大き目の紙にグラフを用意し、ペンで印を付ける、それで十分。

 

私も再開しなくては。