テンプレートの流布

今でこそ、コンピューターをベースとした音楽作成ツールは、数万円もだせば十分に手に入る時代。誰もがやろうと思えば簡単に、音楽の制作を体験し、玄人はだしのものを作れる時代。

 

少し話は遡る。1980年代のとあるインタビューで、あるミュージシャンが言った。

「(素人にもできるけれど)僕らには圧倒的な(音楽の)情報量がある」

情報量の違いがプロとアマの境目に、大きな境界線を引いていたそんな時代。

プロは、それまで学んだこと、実践してきた事をベースに、既存のモノを少しアレンジして、少し以前と違うことをして少しずつ変化させていく。そうすることで、あっと驚く音色になったり、リズムパターンになったりするけれど、その根底を流れている基本パターンがしっかりと存在するため、大きく破たんしない。

 典型+典型+典型+典型+…典型+工夫。

 

だが当時の素人は、そもそもそうしたベースラインの時点で、プロとの情報量が違う。であるため、基本となる部分を含めて、ゼロから作り上げるため、よほどのセンスがなければ、バランスを崩したり、思った以上のクオリティを上げられなかった。だが世間的に見れば、彼らがゼロから作っていることの多くは、典型部分であり、世間的には価値はほとんどない。

 少しの典型+(価値のない)工夫+…工夫+工夫。

 

だが今、購入した音楽ツールの中には、テンプレートは山のように入っているし、音色もプリセットされたものが使いきれないくらいあったりもする。上記でいうところの“世間的に価値のない工夫部分”が文字通りテンプレート化されて起きている現象だろう(が、どれだけ使える音やパターンが含まれているか…は別の話だ)。

さらに、ネットをさがせば、それなりの音やパターンも落ちていたりする。いまさらベースラインをゼロから作り始めなくとも、何となく形になる程度のものは、すぐに仕上げることができる。

 

テンプレートや音がパターンとして流通するようになった。それまでは流通しない情報が、急速に流布するようになった。…となってくると、プロとアマの違いは、最後はセンスの違いや、スピードの違い、ブランドの違い程度にしかならなくなってくる。

アマチュアでも、センスの良いアマチュアは、プロよりもずっといいものを作れたりもする。ただし、プロの底力はそこからであり、ある一定以上のクオリティのものを、ずっと出し続ける力を持っていることだろう。

 

音楽の一発屋というのは、今もあるのかもしれないが、そもそも今、誰もが簡単に一発屋になれるため、相対的に“一発屋の地位”が下がり、プロに昇格できない。昔なら、偶然に一発屋になれる人も出ただろうけれど。やっぱりそこからずり落ちていくか、もしくはそれを契機にそこで学んで、しがみついて、そこからプロになるという道筋があったのかもしれない。

 

だが現在、誰もがすぐに作れるというツールの成熟がもたらしたのは、偶然の産物から成り上がるチャンスをつぶし、本当にセンスのある者のみを抽出するフィルターになった。その結果、感性や天性と呼ばれるもの、それを実行し続けられる環境が、人の運命を、今まで以上に大きく左右し始める。

センスはどこで育まれるのか、どうやって育てればいいのか、明確な手法すらない所では、圧倒的な物量に浸すことでセンスを育ませることができる環境にあり続けられるものが、あきらかにアドバンテージを持つ。

 

プログラミングにせよ、音楽にせよ、絵画にせよ…。