流行っている…って?

“流行っている”ってどういう状態だろうか?

物であれば、販売台数から世帯普及率が…といった手段もあるだろう。個人向けなら何人に一人が、といった形もある。テレビ番組なら視聴率、本なら発行部数などといった数もある。

要するにどうやって数をとらえるか?ということなのだろう。

 

だが数をとらえたとしても、それを街中で見ない/見えにくいと、なかなか実感がわきにくい。

たとえば昨今で言われているLINE。基本的にスマホ用のコミュニケーションツールであり、アプリケーションソフトの一つ。何となく電車の中で、ふと隣の人が使っているスマホの画面をのぞき見て…とか、居酒屋の隣の席のグループの会話を聞いてその事実を知るということがあっても、正確に、彼と彼が使っていて、その隣は使っていない、というのを特定するのは難しい。とはいえ、あそこでも見かけた、こちらでも見かけたという機会が増えることが重要か。

 

スマートホンのアプリケーションの類はどれもそうで、LINEに限らず、それ以前から、Twitterfacebook、パズドラ、などなど、どれを使っているのか、どれで遊んでいるのかはわからない。

同じく、これもスマートホンで見ることができる“電子書籍”もそうだ。

電子書籍の場合、いくつかの端末で読むことができるモノもあれば、特定端末でしか読めないものもあったりと、特定が楽なもの、難しいものいろいろ。それに一目見ただけでTwitterfacebookかLINEかの見分けがつくのと違い、いったいどこの電子書籍を紐解いているのかは、多分すぐには分からない。

 

いや、ひっくり返して言えば、マルチパーパスとなっているタッチ画面を持ったデバイス、特にスマートホンの普及がそれだけ進んでいて、それに打ち勝つような他の製品の類、専用機器が、どんどんと駆逐されているということだろう。そしてその根幹となる部分がガッチリと握れていないことが、家電業界衰退の根幹かな。

 

 

…とはいっても、やっぱり地方都市においては電車通勤/通学というシーンよりも、自動車やバス/自転車の割合が多ければ、自分以外の他人の行動を公において目にすることが少ないだろうことを考えると、“流行り”というのは、特に日本においては、都市部/大都市において、というのが現実なんだろう。

そして大手マスコミが流行っているなどと取り上げ始めた時は、その大半が収束に向かっている時。じぇじぇ。