万年筆の時代

最近に始まった話ではないけれど、筆記用具として、シャープペンシルやボールペン、ましてや鉛筆を握る回数が減っている。

役所や銀行で、所定の用紙に文字を書かねばならない時に、ふと、いつもの漢字なのにそれが不思議な字に見えてしまったりするようになると、かなり重症だったりするのだが。

 

最近は、小学校でも最初からシャープペンシルなんだろうか。最初はやわらかめのBの鉛筆、とか言われていたのは何年前だ…。

鉛筆で書いた字は、間違えれば消しゴムで消す。書いて、消して、また書いて、消して。だんだんと紙が汚くなったり、きれいに消えない紙や鉛筆だったりすると、イライラ。

 

中学でも普通にシャープペンシル。だけど、ちょっと意識のある先生なら、何かの折にボールペンで書かせてみたり。あぁ、でも早くても高校生だろうか。…いやいや、今ならフリクションで消せるボールペンが出てきているからあまり抵抗がないかも。

たいていは、間違った時に直せないことが抵抗になるので…。

 

高校、大学でもシャープペンシルだが、講師や教授によっては、レポートはボールペンか万年筆で、なんて人もいる。最近なら電子的にレポートを出すという利便性もあるけれど、同時に、電子的にコピーペーストできるというズルのしかたもあるので、そこら辺を迂回させるように。

 

社会人になりメモを取るとなると、シャープペンシル、ボールペン、万年筆、それぞれに個性が出る。間違っても消さない人、消せないとイライラする人、いろいろ。

 

 

上記にも書いたように、フリクションで消せるボールペンが出始めたことで、鉛筆と同じくボールペンも、消せる道具になった。実際は、インクの色が熱で変化するボールペンなので、消せるではなく変わるんだけど。

 

それでもなお、書き味とインクの色や香りが好きで、万年筆を使う人もいる。最近だと安いものから高いものまで千差万別だ。

(もしかすると私の知らないところで消せるインクもあるかもしれないけれど)万年筆の場合、書いたら消せない。間違いは線を引いて訂正するのが関の山だ。もちろん、従来のボールペンの安価で信頼性の高いものを愛用する人もいる。ボールペンのインキは、地道に進化しているのだ。

間違ったことが残ること。修正跡が残ることに意味があったり、その経緯が貴重であったりもする。思考の変化、行動の経緯などがそこに残り、修正されていくことが見えることで、より深く考察できたりもする。

 

ネットに、Blogのように何かを書きつけたり、写真を投稿したりする習慣は、たぶん、ここ10年で飛躍的に増大した。パソコンの普及、ケータイ電話、スマートホンの普及によって、誰もが簡単に、ネットに情報を上げられる。

レベルとして“小学生”なら、間違ったら消せるツールを使うのだろうけれど、ネットには、完全に消せるツールは存在していない。一度そこに載れば、あとは訂正するか、薄めるか程度しか方法はない。紙に万年筆で書いた経緯は、他人に見せるモノではないことが多いのだけれど、ネットの場合、多くの場合は、他の誰かに見せるために載せる。なのに、万年筆同様、消すことができない。

 

消せないことは、忘れられないこと。

忘れてほしくないことはもちろん、

忘れてほしいことでさえも、忘れられないこと。