遍在と偏在

再就職活動をするとなると、求人情報をいくつもいくつも探す日々。最も保有件数が多いのは、ハローワークなんだろうけれど、それ以外のネットを使ったサービスからでも探すことはできる。

 

厚生労働省からのお達しに沿うから、だっただろうか、求職者の年齢制限はしてはいけない。なので、年齢制限はない。

…というのが建前。実際は…の年齢制限は“表だって”してはいけない、ということに等しい。結果として実際に断られる理由は、別のものを立てれば済む。

 

本音として年齢制限(たいてい若い方が好まれる)したい、という会社に対して申し込むと、30代はまだ通る、40代は前半ならやっと、後半ならけっこう厳しく、50代ならたぶん中身も見ずに書類で落とされることだろう。

履歴書には、生年月日、学校の履歴が書かれているし、職務経歴書には、何年に入社して何をやって…ということが、たいてい時系列で書かれている。年齢は一目瞭然だ。

 

もしも就職状況において“本気”で年齢制限を撤廃したい/仕事のキャリア、実力、人柄等で判断される社会を作りたいとするなら、履歴書には住所氏名は書いても生年月日を書かせてはならないし、それらを類推できる高校大学の卒業年度などは記載させてはならない。同じく、職務経歴に関しても、直近の仕事内容とキャリア年数を書かせるのみで、それ以前の何年入社なのかなどということを書かせてはならない。

 

表面上をつくろうようなお達しでごまかし、実態はなおも変わらぬ年齢重視となっているような職の探させ方しか作れないこと自体、需要と供給のミスマッチを本気で直そうなどと考えているものがやるべきことではないだろう。…いや、ミスマッチを本気で直そうと考えていないから、なんだろうな。

 

 

実際問題として、年齢が若いものばかりが重視されているわけでもない。昨今の状況を鑑みると、0から教育するつもりの会社なんてのはよほどの大手でない限り体力に限りがあり、できるなら入ったその日から即戦力、というのが喉から手が出るほど欲しいわけだ。となるとそれは年齢ではなく、実力になる。

ただし、「本気で実力が“見たい”」と思っている企業は多くとも、「〝本気で実力が見通せる”という実力を持つ企業」は多くないということ。簡便な措置として年齢で切ろうとしたり、出身校、出身会社で見るしかできないところが結構な数存在する。

 

そのためには「人事部門が優秀であり、かつ現場がすばらしい」、という企業、もしくは「人事も現場もが非常に近い/もしくはほぼ同じで、なおかつ素晴らしい」といった企業(当然規模は小さくなる)という形になるのが一つの形態。

 

そうして見えてくるのは結局、優れた人たちというのは、Japan as No1を誇った時代のように遍在(どこにでもいる)しているのではなく、偏在(かたよって存在)しているんじゃないのか、ということ。

多くの人と出会うということは、結局そういう素晴らしい人を探しているってことなんじゃないかな。別に友達の数を自慢したい人ばかりじゃない。素晴らしい人ってのは、それくらい数が少ないんだよ。