400mリレー

陸上競技において、短距離走でのリレーがある。個々人の能力として100mや400mが速い、というのが前提だけれど、それ以外にもバトンパスのテクニックが重要なカギを握る。

早い奴があつまればそれでいいじゃないかというチームや国もあれば、必死でバトンパスのテクニックを磨くところもある。お国柄が表れるらしい

 

リレーは、一人一人が走る距離は明確であり、走り切ったところで渡すものはバトンと明確だ。400mリレーの場合は、100mを思いっきり走り切り、バトンを渡す。決まり事はこれだけだ。

 

これがもし400mリレーでも、「ある人は100m、次の人は40m、その次の人は80m、最後の走者は180m走る」、なんて変則なことになっていたら、走者は大混乱だ。自分は何m走らなきゃいけないかをしっかりと理解しなきゃいけない。自分が第何走者かもわかっていなきゃいけない。

さらに、もしも「渡すものがバトン」ではなく、別のものだったら、ペットボトルだったら?洋服だったら?受け取るモノが変われば走り方も変わる、受け取り方も変わる。作戦も変わる。

逆にそうした距離、受け渡すものを究極まで簡素化、シンプル化することで、競争ポイントをわかりやすくしたもの/いかに早くということに注力したのが陸上競技だろう。

 

 

だが現実社会は複雑なままだ。

“4人でリレーする”にしたって、一人一人の“走る距離”は違うし、“受け渡すもの”もそれぞれに違ったりする。めいめいが100mだけ走れば、バトンだけを渡せば、すむ話じゃない。もしかしたら一人が370m走って、残りの3人は10mずつでいいという競技かもしれない。いや、他のチームは100mずつで走るかもしれないが、自分のチームは変則でもいいのかもしれない。決まっているのは距離だけかもしれないし、もしかすると距離すら決まっていないかもしれない。

自分たちの“競技”は自分たちで作る/作れる。走り方も、走る距離も、それぞれに受け渡すものも。それをみんなに周知するのが計画書でありガントチャートだったり。

各々が一瞬で走り切れる距離じゃない。だから本当に“走っている”のか、“走れている”のかを確認する必要がある。みんなして走っているはずなのに、歩いていちゃ勝てるモノも勝てない。歩くしかできない状態なら、メンバーを交代しなきゃいけない。競技のルールも確認の仕方もなにもなければ、そもそも何をしているのかわからない。ゴールに向かってそれぞれがバラバラに走っているだけかもしれないし、もしかしたらみんな違う方向を向いては知っているかもしれない。

決めておくことは、その人が走る“距離”、“タイミング”、走り切った時に受け渡す“もの”、ゴールの“場所”。決まっていることが決まれば、あとは個々人で努力できる。決まりごとがなければ、そもそも個人の努力すべき方向性もわからない。勝てるためには、自分たちで決めるべき“最低限”の自分達のルールが決まってないとね。何が最低限なのかは…。