それはあなたがつくればいい
デジタルになれば便利になりますよだとか、アナログ時代の音はひどくて、とかとか、いろんな人がいろんな言い方をする。たしかに、“多くの人にいいと言われる”基準ってのは、それなりに存在するのも事実だと思う。
でも、他人が何と言おうと“自分がいい”と思う基準くらい持ってたっていいじゃないか。あんたはそうかもしれないが、おいらはこれがいい。
世界に一つだけの○○、とか言う割に、人と基準が違うことを容認しないなんて、明らかにダブルバインドだろ。人との基準の違いを容認するのかしないのか、どっちなんだよ!
他の人が見て、「それは音がひどい…」とか「映像が…」という人が居ようと、「それは利便性が…」とか「それはこっちでは再生できないし…」とか言うけど、その人がそれでいいと思った点があればいいし、なければ価値がないだけだ。
“そのすごさ”は、それを使いこなせるようにならないとわからない。その価値を十分に理解していないと価値として認識できない。だからといって、その価値を無理に理解する必要もない。理解させようとしたところで、用がなければ理解すること自体が無駄だ。いや、理解しようとして理解できるようなものじゃなく、見た瞬間、聞いた瞬間、触った瞬間に感激するくらいのインパクトがあるなら、そいつでいいじゃないか。
自分の価値、自分の幸せ、自分の目標、自分のやりたいこと…。
時代として流されていれば、大半がそれなりのおこぼれにあずかれる時代…なら、時代に流されていればよかった。何も考えていなくてもよかった。
でも今は、時代に流されていると、かなり大変な目にあいかねない時代。時代に逆らって泳ぐことは厳しくても、時代を斜めに泳ぐことは可能だろう。いや、可能にしておかなければ、いいことはまだしも、悪いことも向こうからやってくるのを受け入れるだけ。
自分がどうなりたいか、自分でどうしたいか。
行動できればなおよしだ。けれど、そこまで行く前に、ちゃんと自分のビジョンを持っておくこと。人に流される必要はない。自分の考えを持っておくだけ。
持っておく。押し付ける必要はない。