変わらないという変化

変われ変われ、今月中に何とかしろ、今週中に、今日中に、今すぐ変われとせっつかれ、とどまり続けることを良しとしない昨今。

変わる、変化する、進化しないといけないと、日々コストダウン、新機能開発、新サービス開発…に余念がない産業界。

でも時がたつにつれて包含されたメッセージが薄れ、いつしか「変わること自体」が目的となり、「なぜ変わる必要があるのか」は忘れ去られてしまったりする。

だから「変わった何か」だけを考え、「変えること」のみを是としはじめる。

 

 

そんな中において、いやいや、絶対変わっちゃいけないというものもあるのかもしれない。

たとえば「味」かもしれない。

いや、本当に正確には、たぶんその「味」すら変わっているんだろう。時代に応じて、ほんの少しだけ甘くなっていたり、ほんの少しだけ辛くなっているということはあるかもしれない。

でもそうしてほんの少しずつ変えていることこそがたぶん、「変わらない」という「変化」であって、自らが明確に周りに比べて変化を示すことのみが変わるということではないはずで。

 

世の中のインフレなどに対抗して、同じ値段、同じサイズ、同じ味で、ずーっと頑張っているお店があったりする。あんがい高いものではないものが多い印象が強い。それはもしかすると、中身の仕入れ先が変わっていたり、加工の手間が、手作りから機械を導入することで変わっているのかもしれないけれど、味と値段だけは必死に守っていたりする。それこそが、見かけ上の値段が変わらないという付加価値。変わらないという付加価値。

 

変わること、安くすることに血道をあげて、本質的サービスを切り、品質を切り、その代りに奇をてらった機能、欲しくもないサービスがくっ付いたりする。

“流されない変わらなさ”のためには、やっぱり信念とか、目標とか、その裏に潜むものがなければ。