議事録の作成に当たり…

会議の議事録を録っていた。日時、場所、参加者、主旨に始まり、その中での発言の内容を書き取っていた(と言ってもPCでだが)。

 

議事録は、温めていたところで何も生み出さない。いかに素早く参加者、および参加できなかった人たち含めて、決定事項を周知してもらうことが重要なポイント。であるため、会議終了後、速やかに、整理された会議内容を配布する必要がある。

 

個々の発言内容を細大漏らさず書いたところで仕方がない。要旨をまとめ、不要なコメントは除いて、話の流れを整理した。それでも結論などはなく、なんとなく会議然とした会議というよりも、情報共有だよねという会議だったのは否めない。が、それなりに体裁を整え、議事録を作り上げた。

とはいえ、書記担当者が書いたものを、そのままチェックなしに出すのもまずかろう。ということで、上司にちらりと目を通してもらおうと事前チェックを出した。

 

「うーん、やっぱり誰がどんなコメントしたかを全部書いてもらわないとまずいなぁ」

 

ガーーーーーーーン!

 

 

 

会議は、何かを決める場所。

しかし、何かを決めることができなければ、その場は、その場の経過が重要な意味を持つ。

それは、個人の発言であったり、微妙なニュアンスを含むもの。

 

本来、そうした“言葉じり”や“ニュアンス”を伝えるのが議事録ではなく、“議論の骨子”や“結論”を伝えることに意味があるはずだと思うのだが、それが出ない/出すつもりのない会議においては、そうした日本語の微妙な言い回しこそが重要になる。

よって、へたな言い回しに言い換えた発言録ではまずく、ニュアンスを変えない範囲での書き換えが、重要な意味を持つ。書記には、言い回しを汲んだ書き方に起こす技術が求められる。それはまるで週刊誌にある「誌上対談」のように。

それは議事録ではなく、発言録だろう。そしてたぶん、そういう発言をしている者も、そこに発言が記載されることによる自分のポジションの確保といったことを期待しているのかもしれない。

 

 

ポジションを確固たるものにする手立ての意味も分からないではないけれど、そればかりで何も決まらないというのなら、会議すらする必要がない。もちろん、議事録も必要ない。

 

でもそういう組織ほど、「明確な会議の進め方」みたいな本を上司が進めたりする。いや、確かにいい本だし、その通りにできれば、格段に会議の室が上がるだろう。…って、自分たちでできるようになってから部下に勧めなよ。w

決断する、前に進む、そういう会議をたくさんしたかった。