ブラック感覚

ブラック企業がどうだとか、自社がブラック企業じゃないかとか、就職予定の会社がブラック企業だったら…といった心配する声が聞こえてくる。

 

今既に働いている人は、

「そんなこと言ったってさぁ、そりゃ残業だってあるよ。頑張らなきゃいけない時もある。怖がってちゃいけないよ」

なんて檄も飛ぶ。

 

しかし、そもそも環境が違う。

 

今既に働いている人たちが若かりし頃。たぶんケータイ電話はそれほど普及していなかっただろう。パソコンの普及もまだまだだし、当然メールといったシステムを業務で使っていたところはほとんどなかっただろう。クラウドやモバイルといった、どこにいても仕事ができる環境なんてのはどこにもなく、仕事は基本的に、会社でしかできなかった。

 

でも今は違う。ケータイは、へたをすれば一人で二台持っていたりもする。メールでほぼ確実に当人に連絡を取ることができる。チャットシステムも、昔はマニアしか使っていなかったようなものも、今じゃ使っていない人の方が少ないくらいの繁栄ぶりだし。

よほどの地方や、山間部にでも行かない限り、電波が届かないといった言い訳も難しいだろう。やり方によっては、街中のカフェにおいてさえ、仕事を継続することができたりする。事実上24時間仕事に追いかけられる環境が整ってしまっている。

 

こんな環境の中で、ブラック企業だったら?残業がつかなかったら、それは、何十年前かの状況とは比べ物にならないくらい、ひどい状況を生み出しかねないんじゃないだろうか?若者たちは、そうした肌感覚を敏感に感じているからこそ、心配しているんじゃないだろうか?

いや、本当にそんなひどい会社は、そうは無いはず。だけれど会社にいても、家に帰っても、メールで、ケータイで、チャットで追いかけ回されるのは憂鬱だ。ましてそれがブラックだったら。

 

景気が盛り上がれば、多少は改善するのかもしれない。でもやはり、仕事のやり方が変わっている今、軽々に昔と比較してお茶を濁すのはまずいんじゃないだろうか?

 

体を壊すほど無理をせず、でも頑張る。

この塩梅をうまく調整してくれる、信じられる大人に巡り合えることこそが、とてもとても大切な事かもしれない。

 

良い人“だけ”に出会うなんてのは無理な話で、たくさん出会った中からかぎ分けるしかないのかもしれないけれど。