○○○ーワン

世界でナンバーワンになるのはかなわずとも、世界でオンリーワンを目指せ、といった考え方がある。もちろん、オンリーワンになれば同時にナンバーワンでもある。オンリーであるということは、他に真似をする人がいない、それまで気づいている人がいないからだ。

 

だが、そもそもオンリーワンが、注目すべきオンリーワンであるか否かまでは言及していなかったりもする。そもそも誰も注目しないオンリーワンになったところで、結構寂しい思いもするだろう。誰かに注目されるからこそ生きがいを感じるという部分がなくはない人生。となれば、オンリーワンであっても、注目というキーワードは欠かせない。オンリーワンではあるが注目されたい、というある種の背反した思いはないか。

 

逆に考えれば、そうそう簡単に注目されるということは、人の興味を引きやすいということ。誰もが面白いと思えばそこに多くの人が流れ込んでくることはたやすく考えられる。と、その瞬間からオンリーではなくなる。すなわち競争が生まれる。注目はされやすくなるはずなのだが。

であるがゆえに、そうした他人が興味を抱くかどうかなど関係ない、思わぬオンリーワンを目指す人は、そもそも「オンリーワン」などを目指していなかったりする場合が多いのではないだろうか。ただ単純に、当人にはそれが面白いから、何らかの興味がそこにあるからこそ、それに専念する。いわば「変わった人」だったりもする。いや、それまでは変わった人とされていたかもしれないが、突然?じわじわと?世間の認識が変わった、といったことかもしれない。

 

そうした人が、ふとした時代の変化によって、急に神輿の上に担ぎ出される。だからよほどの辛抱強い狙いで、担がれることを目的にでもしていない限り、当人にとっては目立つことは迷惑だったり、へんにライバルが生じること、やたらに取り上げられて周りがうるさくなることが邪魔であることは、ありがちなこと。

ただし、金銭的に成り立ちやすくなるのはありがたいという側面もある。楽にそのオンリーワンを継続することは、それはそれでありがたいからだ。それによって、その道をさらに奥深くにまで追求することができる。

 

そう考えると、オンリーワンになることだって、厳しい道(ただし、苦しいけど頑張る!などと思ってやり続けている人でない限り、厳しいといった次元とは違う概念で動いている)。そもそもそれで生きていけるのか、成り立つのかなどと気にしているようでは、オンリーワンなど追求することはできない。人生をそれに傾けてもよいほどの、興味や信念がなければ、オンリーワンへの追及などできないし、そうでない形だけだとするなら、それは、オンリーワンにはまずなりえない。

 

ナンバーワンにはなれないけれど、オンリーワンを目指す…などと安易に道を選択できるように言うのを聞くことがあるけれど、ナンバーワンはナンバーワンの、オンリーワンはオンリーワンのつらさや厳しさが、当然のように立ちはだかる。

オンリーワンはたやすくナンバーワンに比べてたやすく達成できると思ったら、大間違いだ。