見られて育つ

小さな子供が生まれると、みんなが覗き込む。

注目を浴びる。

歩く前ならまだしも、歩き出すと目が離せない。

見られて育つ子供。ハラハラする大人。

 

 

すでに死語/もしくは日本語で言うセレブに入りかけているのかもしれないけれど、専業主婦という単語がある。それまでは働いていたけれど、旦那となる人と結婚したことにより、食事と家事が主たる仕事となる。子供が生まれ、子育てに追われ、掃除洗濯炊事等々日々のハウスキーピングに追い立てられる。

さすがに今や家電製品の能力も上がり、冷凍食品の味も格段にアップし、掃除はロボット、選択感想は洗濯機、炊事の大半はレンジや調理道具、食事が終われば食洗機なんて生活も、あるにはある。

しかしそれでも、本当に家事と子育てに追われ、昔身綺麗だった職場の華たるあの女性が、ふと気が付くと、嫌な生活くさい雰囲気をまとって、魅力を感じられなくなってしまった人に。

同じように、家事もしているけれど、仕事も続けながら、大変な中でも生活を続けている人もいる。そうした人は、体力的にはきついかもしれないけれど、魅力を保っている人が多いような気もする。単なる美醜ではない。常にみんなの前に出ているという軽い緊張感からくる何とも言えないモノ。

それは一説には、街に出て、多くの人に見られ、職場の人に見られることで、魅力を保とう、…といった意識が継続することの効用だという人もいる。

 

 

結婚しない大人が増えた。当然ながらシングルの人が増える。

結婚したところで、共働きのままで、子供がいない家庭も少なくない。

こういう大人たちは、昔なら週刊漫画雑誌を読んだり、携帯ゲーム機で遊び続けたりする事ができる。自分で働いているので、自由になるお金も結構潤沢だ。ずっと子供のころのまま。楽しかったことを、いつまでも楽しく続けていられる。

好きな洋服も買えれば、好きなコンサートやイベントも行き放題。

他方、結婚して子供ができたご夫婦は、子供が中心になって結構大変に。すべての生活のリズムは、子供を中心に回りだす。それまで「親」を経験したことがない「子」が、「親」へと変身し始める。育てる義務を務めることで単に働く以上に大変な一方、成長をはじめとするお金では得られない、さまざまな喜びを返してくれる。

こうして、子供から親に代わり始めるのは、もしかしたら子供が“いる”から、子供に“見られている”からこそ、「親」になる。いや、子供に、親にならせてもらっているのかもしれない。

 

育てられているのは本当はどっちなんだろう。