抽象と具象の狭間で

「概念」とは、抽象化されたものがほとんどだ。だが、何か具体的なものをイメージしないと、それがとらえられないことは多い。なので、○○の場合には…とか、△△の事例では…と複数例を示し、ほら、こちらでもこちらでも「同じことが起きているでしょ」、それなんです、という理解の仕方を進める場合が多い。

 

それをプレゼン資料などで示すと、その概念が、四角なり楕円なりの形を持ち、矢印でつながったり、ベン図の括りでまとめられたりして説明がなされる。

 

欧米系を原点とする本は、こうした抽象から説明が入り、具象に当てはめってきた後半に、ビンビンと脳に響いてくるものがある。だが、導入部分は(日本人の私としては)読みにくいことも少なくない。

日本人が書いた本では、抽象から入るものはあまり多くなく、むしろ具体的な事例を示し、ほらね、ほらね、この共通の部分はというと…と抽象概念に持っていこうとすることが多い。日本人である自分としては分かりやすいし、友人知人に説明する場合でも、この順序の方が呑み込んでもらいやすい。

 

どうしても抽象概念が理解できない人もいる。分野によるのかもしれないし、興味の有り無しに影響されているのかもしれない。

しかし、具象を抽象概念を軸としてとらえている人は、それが一つモノによっては数段高い概念として物事をとらえていることになり、その概念一つを知ることで、複数の事や事象に対処できる。よってとても効率がいいのだ。これが具象としてでしか理解できていなければ、それはすべてのケースを覚えていなければ、理解していなければ、それに対処できなくなる。よって、経験したことしか対処できなくなるということになる。

 

数学の公式とか、言語における文法というのが、こうした抽象化された部分に当たる。なので、こっちの場合でも、あっちの場合でも、これをあてはめれば数値がいくつでも解は出てくるし、単語が違っても文章になる。

 

…ということを、「抽象概念としてとらえているから」という自分が理解でき始めた瞬間に、知識の利用できる範囲が広がったり、応用力がいっきに広がる。

抽象化って、すごいパワーだぜ。