目的に応じたプロトコル

ファイルを転送して共有したりする際に、たとえばHTTPプロトコルを使ったり、FTPプロトコルを使ったりする(あっ、Pとプロトコルと重なってるしw)。他にももっといろいろある。どれを使うのか、どれが使いやすいのか、受け渡す双方がやりやすいもの、使いやすいものが選ばれるのが通常。

 

デジタル方式であれば、別にそれはファイルの中身に限らず、それこそさまざまなプロトコルが利用できる。所詮デジタル。音声ファイルであろうとテキストファイルであろうと、画像、表計算、動画などどんなデータでも、目的に応じて送るファイルの形式を変換したり、プロトコルを工夫することで、情報は伝送することができる。

 

 

しかしそれは「デジタル」であるから。ゼロイチを利用してさまざまに変換することにさして意味がない事だから。だからプロトコルを選択することにはほとんど意味がなく、いかに伝わるか?伝えるか?に注力される。

 

だがアナログ世界ではそうはいかない。だからプロトコルの選択こそが命。その選択を間違えると、そもそも“伝わらない”。いやそもそも手持ちの情報の形、伝える相手が決まれば、選択できるプロトコルは、黙っていても選択肢はほとんどない。決まってしまう。

そこを、無理やりおかしなプロトコルを使おうとすること自体が間違いを引き起こす。おかしな手順ではそもそも伝わらないのは当然。でも、目的を見失い、時に「そのプロトコルを使うこと」自体が目的になってしまった場合は、そもそも伝わらないところからスタートする。また最悪の場合プロトコルを作ろうとしたりもする。信頼性も完全性も何も担保されていないのに。

 

ところがプロトコルが選択できない時がある。それは慣習であったり、習わしであったりして動かしがたい事がある。なので、動かせないそうしたものの中から、選択肢のない選択をしなければならない時もある。なぜなら、それを使う事こそが意味を持っている世界なのだから。