楽しくなければ

テレビ“局”のキャッチコピーとして、楽しくなければテレビじゃない、なんてのがもてはやされた時代があった。

 

でも、もうすでに“楽しい”なんてのにうつつを抜かしていられる時代じゃなくなったのかもしれない。楽しいだけでは生きていけない。

 

楽しむためには、楽しむための余裕が必要になる。

でも、デフレで縮小する社会において、それでも右肩上がりの経済成長を求めている相反する社会においては、そうした「余裕」を削って削って、ぎりぎりまで削って回していくことでなんとか成立してきた。結果、余裕はあちこちから亡くなり始め、そのひずみが徐々に弱いところに堆積し始める。

 

「くさり」は、それを左右に引っ張って引きちぎろうとすると、もっとも弱い一つが千切れる。ウィーケストリンクなんて言うこともある。そんなバラエティ番組もあったかな。

ゲームなら、弱いものを切り離して進めばいいけれど、現実社会は、弱いものも、誰かが面倒を見なければ仕方がない。そんなやつをいじめ倒して、コテンパンにやっつけても、みんなで面倒を見るしかない。

それよりも、少し手を差し伸べて、自分で立ち上がってもらう方が、実はどれほどみんなが楽になるか、計り知れない。

叩き潰すのではなく、手を差し伸べる。千切れそうなくさりのひとつは、手を差し伸べてやる。

 

誰か一人だけが犠牲になるのではなく、少し力を差し伸べてみんなで痛みを分かち合う。そうすれば、みんなに少し余裕も生まれるだろうし、少ないかもしれないけれど、楽しい時間も生まれるんじゃないだろうか。