幸せなあきらめ
若者の失業率がひどいという。
他方、企業はバブル世代をガンガンと切り始めている。
会社の中では人が足りないと言い、以前にもまして効率が問われ、厳しい状況が続く。1年ほど前あたりから、アベノミクス?と浮かれて、株価上昇、為替の下落の恩恵を受けた人もいたかもしれないけれど、たぶん大半の人は、そんな恩恵などにあずかれるほどでもなく、毎日、一生懸命働いて、食い扶持を稼いでいる。
心の病の本も増えた。セラピーや、カウンセリングなんてのも普通に聞く。これも何年か遅れのアメリカの社会を追いかけてきた“成果”なんだろうか。
出世したくない、管理職になりたくない人が増える。稼ぎが少ないから結婚もできないと嘆く。東京を中心として、一人暮らしが増え、人が生きること前提の経済というよりも、金が回ること前提の経済に人が組み込まれ、まわっている。
そんなぬぐえないような気にさえなる落胆、あきらめが、人の心をべったりと覆っていたとしても、頑張っている人がいる。ほんとうに心から挑戦している人がいる。
しかしそんな激しい競争に疲れ、あきらめる人も少なからずいる。そもそも競争に入る前に、勢いにのまれるのを拒むように、そこを避けた生活に入る人がいる。
でもそれでも、そんな人であってもそれなりの生活が営めているこの国。
歪んだ形であったとしても、食べ物を口にし、水を飲むことができる国。
死が隣り合わせだというシビアな感覚を持っている人は、たぶんそれほどいない。
働かなくたって、何とかなるさと思っている人が多数“存在できる”国。
幸せの国。
何を使っているのか、どんな“貯金”を使っているのか。
“残高”が心配で仕方がない。