やりたい事と、やれる事

学生が就職しようとする時、自分ができること、やりたい事がまだ明確にイメージできていなかったりする。そんな中で、会社を選び、自分のイメージを固めて、就職活動を行う。

結果、入った会社でやっていることの多くは、たぶん、やれる事。やりたい事がすぐにできる形で会社に入れる学生など、そうそうは居ないだろう。

 

そんな中、会社に入ったら入ったで、やれる事の幅を広げていくので精一杯。最近なら、会社自身にさほど余裕がないもんだから、新人であろうと、余裕を持って育てられるほどの度量を示せず、ガンガン使う。昔なら、多少の余裕があって、育てたり、失敗を認めたりできたこともあっただろうに、最近ではそんな余裕も使い果たして。

 

仕事は、仕事としてやりたい事ができているうちは、それだけで無理がきいたりする。なんせやりたい事なのだ、それが今はやれない事であったとしても、やりたかったのだから、黙っていてもやれるように頑張るし、工夫する。そうしていずれ、やれる事に変わっていく。

しかし、しごとが、やりたくないけどやれる事だったりすると、そこでは頑張りは効かない。できるけれどそれには感動がない、意味を感じられない。そうするとそれは、無味乾燥なものに変わり、やっている意義すら感じられなくなることにもつながっていく。

 

やれない事だが、やりたい事なら、自ら挑戦するだろう。

だが、やれる事だが、やりたくない事なら、それは避けようとするだろう。まわりからみれば、できるのになぜやらないのか?ということにもなりかねない。

 

そう考えると、本当にやりたい事を見つけるというのは、かなり重要なことかもしれない。しかし、その本当にやりたい事だけを見つけるだけで、時間を使わせてくれるほど、人生は楽ではないのだけれど。