成果なんて不平等

別に野球に限らず、チーム運営されているプロスポーツにおいて、監督が担う役割は大きい。プロ野球、シーズンが変わる段階で監督が交代するのは普通にあること。今年度から監督が変わったことによって、一気にチームの覇気が上がり、いきなり成果が出だした/勝ちだした、というチームもあれば、まだまださほど変わらずに、組織作りで精一杯、というチームもある。

 

監督が変わって良い成果が出たチームは、それはそれでいい。が、さて、その成果はその“新”監督の成果なんだろうか?

 

 

チーム運営のやり方等々によるので、すべてがそのようにあてはまるとは保証できない。だが、そんなにすぐに成果が出るような施策がポンポンと施され、そしてそれらの効果が即表れる、というのは、“よほど優れた指導者”が打ち出した、“よほど優れた施策”でなければ、そうはならないというのは、想像に難くない。

 

ということは、そうそうそうした施策は打てない、そう簡単に施策の効果が出ないことの方がふつうなのだろう。というか、たいていはそう簡単にはいかない。そんなすぐれた指導者がポコポコ存在する世界“ではない”というのが真実。また、そんなにいつもいつも優れた施策が存在する、かつ効果的に実施できるというのもまたまれなこと。そんな低い確率どうしが掛け合わされて生じる、さらに低い確率のことがそうそう起きるはずはない。

 

とするなら、どうしてその指導者に入れ替わった“途端”に成果が出たのか?は、みなさんご想像の通りであることも少なくない。それらのほとんどは“その前の指導者”の施策/成果が、やっとその時になって出てきた/効果が表れてきた、と考えるのが一つの仮説というもの。

もちろん、タイミングもある。周りの環境は移り変わり続けている。よって、特に対した施策を施さずとも、周りが変わったことによって、良い効果が出たこともあるのかもしれない。

 

 

よほどのマイナースポーツの監督なら別だが、メジャースポーツの監督やメジャーチームのまとめ役は、それなりの報酬をもらっている。それは、そうした取りまとめる役目が特殊技能かつかなり困難なスキルを伴う仕事であることから、(うまく取りまとめられない)大きなリスクを負う代わりに、大きな報酬をいただく。

施策がうまく行き続ければ、その後、継続して何年もその職にとどまることには文句は言わない。いやむしろ、そんな素晴らしい成果をほんとうに出せる人なら、しっかりと対価を支払うべきだ。

だがもし、うまくいかなかったら?その時には、きちんと個人としてのリスクをとっていただく。あんたじゃ駄目だったんだ、次!…と、すぐに首を切られたところで、路頭に迷うほど金に困る人ではないだろうし、金もあるだかろう。

 

多くの者を動かしてさえそれなりに成果を出せるなら、多少大きめの報酬でも構わない、が、それは、その尋常ではない成果を生む結果と才能に対して支払われているもの。成果が出せないのなら、辞めろとまでは言わないまでも、“きちんと”責任を取ってもらいたい。それだけのビッグビジネス。報酬も大きいからリスクも大きい。

 

裏を返せば、報酬の小さいところにおいて、上記と同様のリスクを背負わせるというのは、それは理不尽というものだ。もちろん、そうしたことを勘案した「成果主義」として導入されるという、少なくとも建前があったはずなんでしょ?でもだんだんとボロがでて、負わせる成果ばかりが大きくなってきていませんか?都合のいいルールで走り始めたゲームは、やがてプレイヤーがつまらなくなって、親だけが楽しい世界になる。ゲームは、スリルに見合った報酬があってこそたのしくて、それを維持するためのバランスがルール。ルールのバランスが多いところでは、プレイヤーは黙って抜けていく。そしてそれはひずみとなって、結局ルールーメーカーたる親への負担となりえることも。

 

都合のいい事は、そうそう長くは続かない。都合の悪いことは、そうそう長くは続けられない。