自分が決める

昔は簡単だったのかもしれない。

大きな「波」がドザァーと来て、みんながそれに乗っかれて。大波で一気に、みんなが幸せになることができると思えた。だからそれに乗った。

 

でも昨今は、大波などめったに来ないことが見えてきた。たまに大きな波が来たとしても、それに乗ろうとする人が波に押し寄せ、一人分の波が小さくなったり、結果的に波が消えてしまうことになったりしてしまうことも普通にある。

 

「波」だとわかった瞬間にそれに乗るか、それとも「波」だと分かる以前からそれに乗っているか。もしくは自分で波を起こすくらいでなければ乗ることができない。

 

 

でも、もしかすると「波」なんかとは全く関係のない沖で、ゆっくり浮かんでいるだけで幸せな人もいるかもしれない。皆と一緒でなければいけないことなど何もない。

なにより、人が定義したものに乗る必要は何もない。人の価値に縛られすぎるのは結構つらい。

 

自分は一人では立てない。だから他人の中において始めた成り立つところはある。けれど、すべてを周りにゆだねている必要もない。人に依存するところと、自分で立つバランス具合がくずれれば、周りに流されたり、逆に孤立になったりもする。

 

環境は変わる。そして以前の環境で強かったものが、次の環境で強いものである保証は何もない。変われなければ、弱いものになってしまうことだってふつうにおきる。

まわりに強いられて変わっていったとしても、もう、大波には乗れそうもない。

なら、自分で決めて、自分で進んでいけばいい。沖にフワフワと佇みつづけるのも選択肢の一つ。

誰かに強いられて、納得できない結果を誰かの責任だと文句を言い続けるのか。

自分で決めて、自分で進んで行って、間違っていると思ったら、そこからまた自分で違う道を選択して進んでいく。

 

自分で決めることを手放すということは、自分であることのいったい何割を手放しているんだろう。

自分を取り戻すために。