都会の喧騒

とある衣料量販店へ立ち寄る。

最近急に冷え込んだこともあり、冬物衣料を物色しに多くの人々が訪れる。

レジの前には長蛇の列。各々に、自分が選んだいくばくかのシャツやセーターを、20年前には予想もしなかったような値段で購入する。

 

試着室の前にも長い列。これだけ大量に中で、いったいどのサイズが適切なのか、本当にフィットするのか、一度は試してみないと。

 

旧来のデザインブランド店は人通りがほとんどないくらいに。デパートの中においても、安さをメインにした衣料品のみに人は流れ、ブランドという価値やデザイン性が売りになっているところからは、人は遠ざかる。

たぶん、シーズンも半ばを超え、明らかにバーゲン価格に入り始めた瞬間から、そうしたお店に人が立ち寄り始めるんだろう。

 

要するに、人はそうしたデザイン価値よりも、絶対的価格の前にひれ伏しているのが現状。自分で選んだ価値ではなく、他人が選んだ価値を信じようとする。安さの前では、少々のデザインの妥協もやむを得ない。少々の野暮ったさも承知の上。

 

私が知っている昔の関東の人間は、それでもやせ我慢?で、ちょっと高い方を選んでいたような気がする。車だって軽自動車なんてほとんど見なかった。

でも今は、安さ最高、価格破壊万歳。軽自動車はあちこちでじゃんじゃん走る、そんな地域の一つとして存在する。

 

そりゃぁ日本全国において、高いものは売れなくなりそうだ。みんな安さが第一、経済第一、お金第一。

 

どうせそうそうデザインの良しあしなんてわかる奴はいない。縫製の良し悪しなんて気づく奴もいない。音だってそうだし、味だってそうだし。価格がそれなりでさえあれば、だまされる輩もすくなくない。いや、むしろちょっと高めの価格の方が売れるなんてこともある。中身じゃなくて「価格」がそのものを正しく表していると信じて。

 

そんな、みんながなびく季節、師走。

イルミネーションに何となくウキウキし、それほど暖かくもない懐具合でも、もしかしたらと勘違いをしてみたくなる。

 

そうして満員電車kら降りた途端に、吹きっさらしのプラットホームに放り出され、冷たい北風を直接受けて、心地良い酔いに夜風が沁みる。

 

寒っ。せめて暖かい風呂につかりたい。