記録

何年か前、鉄腕アトムを皮切りに、アニメや特撮の主題歌と呼ばれるものを、アニメーション創世記から年代を追って、ずっと聞く機会があった。

自分が見ていた年代の歌が出てくると、自然と口をついて出てきたりと、なかなか懐かしい体験であったのと同時に、面白い傾向も発見する。

 

それこそ何十年にわたっての歌が、年代順に流れてくることで、「楽器の音」の変遷が、そこはかとなく漂ってくるのだ。文字に表すのは難しいのだけれど、ある番組で使われた音は、同年代の別の番組でも使われる傾向が高く、時代による音の流行、楽器の流行のようなものが見えてくる。

 

これは、記録として一気にそれらを比較することで初めて感じる感覚。一つずつを聞いていたところでは、なかなか気づきにくい。

 

記録は、一つ一つを見ていたところでは見えないことも少なくない。けれど、一気に大量に比較しようとしたり、大きな傾向を見ようとしたときに、実はそのひとつひとつの小さな差異が、大きなうねりとなって現れる。それを見るためには、たとえ個々には小さい事、つまらない事であったとしても、記録に残っていなければ始まらない。当初は「そんな使い方」を想定していなかったとしても、時代を経ることによってそうした傾向が見えることがある。そして、それができるのは、記録として残っているから。

 

だから、記録は勝手に処分されては困る。記録はきちんと残しておかなければ困る。その直後は、「こんな記録、大した意味もないのに…」ということであったとしても、その半年後、1年後にそれを見返した時に、一気に記憶が呼びさまされたりもする。たぶんそれがなければ再び思い起こされることさえなかった記憶が。

 

それを、今取るのが面倒だからと記録しないことがある。場所が足りないからと記録を捨てることがある。それは実は、未来における大きな価値を、ゴミ箱に投げ入れている事…なのかもしれない。